スペイン風邪の時代とは 100年前の「英vs独」と酷似する「米vs中」の構図=板谷敏彦
今からおよそ100年前の1914~18年、第一次世界大戦が戦われた。この時の戦死者は諸説あるものの、軍民合わせて1650万人とされている。当時の地球人口は約18億人だったので、これだけでも約1%だ。
ところが、この戦争の終盤である18年から21年にかけて、これをはるかに上回る3000万人から5000万人の死者を出すインフルエンザが流行した。これが、いわゆる 「スペイン風邪」である。(歴史でわかる経済危機)
世界人口の50%が罹患(りかん)し25%が発症したと考えられており、日本でも当時の人口の約半数である2380万人が罹患し約45万人が亡くなったと推計されている。ちなみに第一次世界大戦での日本の戦死者は415人だった。
当時交戦中の欧州各国が情報を統制する中で、中立国だったスペイン政府だけが病気を公表していたためにスペイン風邪と名付けられたが、発症は18年3月の米中西部カンザス州だと考えられている。
米国は17年4月に参戦を決意し、急きょ徴兵制を実施して、若者を兵舎に集めて訓練を始めた。まさに今でいう「3密」(密閉、密集、密接)がそろったこの兵舎の中からスペイン風邪は広まったと考えられている。
そしてウイルスを持った兵士たちが次々と欧州へと派遣され、スペイン風邪は戦乱の欧州を経て世界へと拡散していったのである。
死亡者の多くは若者
第1波は発症から1カ月後に米兵とともにフランスへ上陸、その方面に配備されていたイギリス兵から感染し、なぜか隔離状態にあるドイツ兵へ、そして戦線南部に配置されていたフランス兵へと広がった。
欧州から遠く離れた日本でも6月には発症が確認され、大相撲夏場所は風邪による休場が目立ち「相撲風邪」と呼ばれ、また第1波は死亡者が少なく罹患しても3日ほどで回復したので「3日熱」とも呼ばれたのである。
第2波となるウイルスの変異は8月で、不思議なことにアフリカ、フランス、米国東海岸の離れた3カ所で同時に発生した。見るからに健康そうな若者が、38度から40度の高熱を発して、発症からわずか1〜2時間で動けなくなり、ばたばたと死んだ。あまりに急激な容体の変化に、米東海岸のボストンではドイツ軍が毒をまいたと信じられていたほどである。
インフルエンザというと、どうしても体力が弱い高齢者や幼児が犠牲になったようなイメージが強いが、スペイン風邪の特徴は死亡者の45%が15〜45歳の体力のある若者だったことだ。
かくして小康状態の後、19年2月には第3波が始まって、米国では翌20年4月までに55万人が死亡し、集団免疫の獲得によりスペイン風邪はまさに音もなく消え去った。
さて、スペイン風邪は新型コロナウイルスと戦う現代の我々に何を教訓として残したのだろうか。
感染症の歴史としては、流行は第1波では済まず何波も続いて長期化する可能性があること、ウイルスは突然変異があり凶暴化する可能性があること、犠牲者は必ずしも高齢者や幼児とは限らないこと、などであろうか。
しかし、昨今のコロナウイルスを巡る米国と中国のやりとりを見るにつけ、スペイン風邪の教訓をこれだけにとどめてはならないと強く感じる。
そもそも私が『日本人のための第一次世界大戦史』(2017年、毎日新聞出版)を書いたのは、現代が100年前の状況に似た危険な状況にあると考えたからだ。
19世紀中ごろから発達した鉄と蒸気機関の文明は、グローバル化を推し進めた。米国の大陸横断鉄道、日本の開国、スエズ運河の開通、蒸気船の発達などである。同時に、先進国による金本位制の採用は、貿易の為替リスクを低減させ、この時代、経済のグローバル化は驚くほど進展した。
この恩恵をフルに受けたのが当時の新興国ドイツであった。当初は先進の英国の商品をコピーし、一時は「メード・イン・ジャーマニー」という低品質問題を引き起こしたが、急速に品質を向上させていった。人口が増加し、鉱工業生産が伸びたドイツはやがて経済規模で英国に追い付く。
また、この「第1次」と呼ぶべきグローバリゼーションは世界全体に経済的な恩恵を振りまく一方で、先進国国内の低付加価値な単純労働者からは仕事を奪った。世界の平準化の一方で国内には格差問題を抱えたのが20世紀の初頭である。
そしてこの国内問題を国際問題に転化しようとした時に第一次世界大戦が始まった。新興国ドイツが覇権国英国に挑戦したのだ。
「トゥキディデスの罠」
東西冷戦の終結。大型ジェット機による海外旅行の低廉化、コンテナや専用船による海運の合理化、そしてなによりインターネットの普及による情報伝達の進化など、現代の我々は「第2次」のグローバリゼーションの最中にあった。また各国国内の格差問題も100年前と同様である。
そして、この恩恵を最も受けた新興国中国が米国の覇権に挑戦しようとしているのが現代である。「メード・イン・チャイナ」はもはや安物の代名詞ではない。
ハーバード大のグレアム・アリソン教授は、この米国と中国の緊張状態を古代ギリシャの覇権国 スパルタと新興国アテネが激しい戦争を繰り広げた故事にちなんで「トゥキディデスの罠(わな)」として警告したが、現状が第一次世界大戦前夜に酷似していることは明らかだった。
「これまでの政権は、中国での自由が経済だけでなく政治的にも、あらゆる形で拡大することを期待していた。しかし、その希望は達成されなかった」「こうした時代はもう終わりだ。中国は言葉ではなく行動で、新たな敬意をもって我々に接する必要がある」
ペンス副大統領は18年10月、「対中政策演説」を行い、中国はこれを米中経済戦争における事実上の宣戦布告であると受け取った。
それ以降の動きは周知の通りだ。米中貿易戦争、中国ファーウェイ製品の締め出し要請、そしてトランプ米大統領は、今回のウイルスは「武漢ウイルス」だと中国を名指しで非難している。
今回のコロナウイルス騒動は、100年前と状況が酷似する中で、偶然にも欠けていたスペイン風邪の部分を埋めたことになる。
スペイン風邪、すなわち第一次世界大戦以降の世界は、各国とも戦争債務に苦しみ、不況下でブロック経済化することで対処した。そしてグローバリゼーションに逆行したその帰結は第二次世界大戦だったのだ。
今回はコロナウイルス対策によって支出が膨らみ、各国とも債務が積み上がって大きな景気停滞期が訪れる可能性が高い。
我々に100年前のスペイン風邪から得られる教訓があるとすれば、ウイルス対策以外のグローバル化を逆行させる動き、また米国にせよ中国にせよ世界を分断する動きに抵抗することであろう。
(板谷敏彦・作家)