経済・企業

ベーシックインカムで「日本人が働かなくなる」は本当か=松本健太郎

東京都新宿区で2020年3月30日午後5時43分、喜屋武真之介撮影
東京都新宿区で2020年3月30日午後5時43分、喜屋武真之介撮影

以前から社会保障政策としてベーシックインカムが注目されていましたが、新型コロナを受けて「社会的権利」としても注目され始めています。日本においては政府から支給された10万円が1回ポッキリのベーシックインカムだなんて見方もあります。

コロナがあぶりだす 世界一裕福な国の貧困

――貧困を放置すれば社会不安が高まりかねない。近年、欧州では個人が無条件で一定のお金を定期的に受け取れる「ベーシックインカム(BI、最低所得保障)」がたびたび議論になる。フィンランドは18年までの2年間、BIの給付実験を行った結果、雇用には大きな効果は見られなかったが、健康状態や生活満足度は改善したとの結果が出た。スイスでも16年にBIの導入の是非を問う国民投票があったが、財源の問題などを理由に反対多数で否決された。新型コロナの危機で再びBIを巡る論争が熱を帯びるかもしれない。

国内では堀江貴文氏や西村博之氏などが導入を主張し、最近では竹中平蔵氏が言及したことも話題になりました。国外では引用した通りフィンランドでは実験が終わり、QOLへの寄与が明らかとなりました。

注目を集める理由は、政府から全国民に対してお金が”タダで貰える”からです。ざっくり言えば、働いていない人も、働いている人も、等しく一律の金額が給付されるのがベーシックインカムです。

ただし、今のところは多くの国民がベーシックインカムを冷めた目で見ています。財源はどうする、働かずにお金を貰うのはずるい、働かざるもの食うべからず。こうした反対論が多く、はっきり言えば今のところ”マユツバ扱い”の政策です。

ベーシックインカムとは何か?

ベルギー出身の哲学者であり、ベーシック・インカム・ヨーロッパ・ネットワークの幹事であるパリース・フィリップ・ヴァンが、彼の著である「ベーシックインカムの哲学―すべての人にリアルな自由を」の中で、ベーシックインカムを次のように説明しています。

―― (1)その人が進んで働く気がなくとも、(2)その人が裕福であるか貧しいかにかかわりなく、(3)その人が誰と一緒に住んでいようと、(4)その人がその国のどこに住んでいようとも、社会の完全な成員全てに対して政府から支払われる所得である。

つまり、この世に生を得たからには一定の購買力を政府が給付する、それがベーシックインカムです。

ただし、富める人に給付は止めたほうが良いのではないか、一定以上の所得がある場合は減額したほうが良いのではないか等、ベーシックインカム推進論者の中でも細部で意見が異なります。今のところは「政府から誰もがタダでお金が貰える」程度の理解に留めておくべきでしょう。

ベーシックインカムは賃金補助であり貧困対策に効果が見込めるとして、経済左派から強く支持されています。簡単に言えば収入の多い人から少ない人への「富の再配分」であり、格差社会の是正にも繋がるからです。

では、対立する経済右派がおしなべて反対しているかと言えば、そうでもありません。

例えば市場原理主義者であるミルトン・フリードマンは自著「資本主義と自由」において「一定水準以下の所得しかない者には逆に税金を還付する仕組み」として「負の所得税」を提唱しており、”富の再分配”としてのベーシックインカム政策には一定の理解を示していました。

またベーシックインカムを導入すれば、誰に、いくら給付するかという勘定作業や扶養者の調査など社会保障に掛かる政府の役割が大きく減り、公務員削減に繋がるとして、小さな政府推進の観点でも一定の経済右派から支持を集めています。

導入によって与える役割や期待は違っていても、経済政策として対立する両陣営から一定の支持する声が出るほど、今までの概念では評価し難いのがベーシックインカムだと言えます。

生活保護とベーシックインカムの違い

ベーシックインカムを導入せずとも失業対策として生活保護制度があるじゃないか、という反論があるでしょう。

「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するのが生活保護制度ですから、給付金の使い道は基本的に自由です。しかし贅沢品はケースワーカーの判断に拠り、地域によっては車がOKだったりNGだったりします。

加えて、生活保護は働いて収入を得た分だけ支給額が減らされます。つまり生活保護は「働いた分だけ損をする」制度なのです。さらに不正受給が無いか役人がチェックする不毛なシステムを構築しています。

貧困から抜け出すより、役人に文句を言われながらも働かないで居るほうが楽なのです。

ベーシックインカムが生活保護と根本的に違うのは、高額所得者は除くべき等の意見はありつつ、貧富や就労意欲に関係なく政府から所得が支払われる点です。つまり働いた分だけ所得が増えるのです。「働かないと損をする」制度なのです。

ベーシックインカムで人々は本当に働かなくなるのか?

ベーシックインカムが導入されると、心配されるのは「労働意欲の低下」です。働かずとも政府から一律の金額が給付されるなら、真剣に働く人が減るのではないか、と心配する人も多いようです。

実際のところ、完全に実施されていない政策に対する批判を退けるにはエビデンスとして十分では無いかもしれませんが、各地で行われた導入テストの結果を見る限り、杞憂であるという結果になっています。

例えば、カナダのマニトバ州では総額1700万カナダドル(現在の64億円に相当)を投入して、1974年から約4年間、ベーシックインカムの導入テストが行われました。その当時の報告書などは、グレゴリー・メイソン氏のWEBサイトから確認できます。

また、カナダ版HUFFPOSTでも2014年12月に「A Canadian City Once Eliminated Poverty And Nearly Everyone Forgot About It」というタイトルで、当時の実験が取り上げられています。

中道左派であるカナダ自由党からカナダ進歩保守党への政権交代などにより政策は途中で打ち切られ、最終報告書も刊行されなかったのですが、2009年にマニトバ大学のエヴァリン・フォージェイ女史がデータをアメリカ国立公文書記録管理局で発見して分析を行い、2011年には「the town with no proverty」という論文を発表しました。

また、フォージェイ自身が内容を解説する姿がYoutubeに上がっていますので、興味のある方はご覧下さい。

分析の結果、労働時間は男性で1%、既婚女性で3%、未婚女性で5%下がっただけで、労働意欲の低下とは言い切れない結果でした。加えて、メンタルヘルス、交通事故、傷害に関連する入院期間の大幅な減少や、高校課程への進級に大きな伸びが見られました。これは先に紹介したフィンランドと同じ効用です。

また、結婚する年齢は遅くなり、出生率は下がったそうです。つまり、最低所得保障を得た人々はより働こうとする足がかりを得たという結果でした。

そのほかにも、2009年5月にロンドンで行われた「ホームレスにタダで3000ポンド(約45万円)をあげる」という実験に対しては、1年半後には13人中7人が屋根のある生活を過ごしている結果となりました。

成功事例ばかりをかき集めては意味が無いのですが、今のところ失敗事例が出てこないので、どうしようもありません。

生活保護とベーシックインカムは仕組みが別ですので、「生活保護受給者は働いていないだろう!」という反論は論点がズレていると私は思います。

「ベーシックインカムで労働意欲が低下する」という反論は、提唱者が事例をもって説明する責任があるようにも思います。

松本健太郎(まつもと・けんたろう)

1984年生まれ。データサイエンティスト。

龍谷大学法学部卒業後、データサイエンスの重要性を痛感し、多摩大学大学院で統計学・データサイエンスを〝学び直し〟。デジタルマーケティングや消費者インサイトの分析業務を中心にさまざまなデータ分析を担当するほか、日経ビジネスオンライン、ITmedia、週刊東洋経済など各種媒体にAI・データサイエンス・マーケティングに関する記事を執筆、テレビ番組の企画出演も多数。SNSを通じた情報発信には定評があり、noteで活躍しているオピニオンリーダーの知見をシェアする「日経COMEMO」メンバーとしても活躍中。

2020年7月に新刊『人は悪魔に熱狂する 悪と欲望の行動経済学』(毎日新聞出版)を刊行予定。

著書に『データサイエンス「超」入門』(毎日新聞出版)『誤解だらけの人工知能』『なぜ「つい買ってしまう」のか』(光文社新書) 『グラフをつくる前に読む本』(技術評論社)など多数。

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