藻谷浩介の世界「来た・見た・考えた」 欧州「エストニア」なぜかアジア系言語の国のバス旅
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バルト3国編(2)
24年ぶりに訪れたエストニアの首都タリン。以前に来た時(1992年)は死んだように静かだった町は、EU(欧州連合)各地からの観光客でにぎわう近代都市に変貌していた。浦島太郎のような気分を味わいつつ、この小さな国が成り立つゆえんを考える。
公共交通の主役は鉄道からバスに
旧市街の北端の入り口を監視していた丸い搭「太っちょマルガリータ」で、旧ソ連崩壊直後の24年前からの変わりようを実感した筆者は、美しく整備された道を南に、ホテルまで戻った。もう午後7時半で、日本から引き継いだ体内時計は夜中の1時半なのだが、もうひと踏ん張り、旧市街の西の外にあるタリン駅まで足を延ばしてみる。
旧ソ連時代には、鉄道が遠距離移動の主要な手段だった。その名残か、タリン駅からはロシアのモスクワとサンクトペテルブルク行きの国際列車が出るが、南にある同じバルト3国のラトビアやリトアニア行きの列車は廃止されている。頭端式ホームの並ぶ構内には近代的なデザインの通勤電車が2編成止まっていたが、客の姿は少ない。
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週刊エコノミスト
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