テクノロジー

コロナワクチンにも応用「クリスパー・キャス9」生みの親が語るゲノム編集の未来

    遺伝子改変技術にはメリットもあれば懸念もある。画期的なゲノム編集技術「クリスパー・キャス9」を開発し、2020年のノーベル化学賞を受賞したジェニファー・ダウドナ氏にインタビューした。

    (聞き手=岩田太郎・在米ジャーナリスト)

    ── ゲノム編集技術「クリスパー・キャス9」の開発によって、2020年のノーベル化学賞を受賞した。

    iPS細胞(人工多能性幹細胞)を開発してノーベル医学生理学賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授は、「ゲノム編集は、この25年の中で、おそらく最も画期的な生命科学技術」と言っている。どれほどインパクトのある技術と考えているか。

    ダウドナ 医療分野におけるクリスパー技術のインパクトは、まだ見え始めた段階に過ぎない。

    また、クリスパー技術は単独で存在するのではない。科学は他の科学的発見の上に築かれるものであり、別の科学的ツールがあればこそ、クリスパーの使途が広がる。

    ゲノム編集の応用のあり方は、人々の価値観や社会的規範が決めると思う。

    私の目標は、裕福な人たちだけではなく、受益を必要とする人すべてのために技術を進歩させ、人の命の価値が平等に扱われることにある。それが、私の歓迎する価値観の変化だ。

    ── ニューヨーク大学ゲノム技術センターとマウントサイナイ医科大学のクリスパー技術チームが20年11月、新型コロナウイルスからヒトの細胞を保護する遺伝子を特定したと発表した。

    あなたは、パンデミック(世界的流行)が始まった時からこのような成果を予期していたが、この発見にはどのような価値があるか。

    ダウドナ 新型コロナに関する研究は日進月歩で、一つの研究の報告を読む頃にはすでに10以上の新しいブレークスルー(革新的な手法や手段)が現れている。

    我々はコロナ危機で多くのことを学んでいるし、次のパンデミックにはよりよい診断法、予防法や治療法、ワクチンでうまく準備ができていることを願う。

    いくらかのクリスパー技術研究では、新型コロナだけでなく、より広義のコロナウイルスの治療に役立つ発見がなされており、それは大きな勝利であると思う。

    ── あと10~20年で、クリスパー技術によって食糧の増産や栄養価を高めることはできるのか。

    ダウドナ クリスパー技術で編集された穀物がこの先、農家が気候変動に適応するのを助け、農薬や殺虫剤の使用を減らし、食物の栄養価を高め、さらに地中の炭素隔離を増大させることで農業にインパクトを与えることに疑いはない。

    食糧需要はこの先増えるだけなので、クリスパー技術などのツールが必要だ。

    「四肢再生」には楽観

    ── 手足を失った人のために、それらを再生することは、現時点では困難だと述べているが、再生目的にiPS細胞とクリスパー技術を組み合わせられる可能性は。

    ダウドナ 特に多数の遺伝子や複数の細胞のタイプに対応する場面において、クリスパー技術は絶対に他の技術との組み合わせで使われるようになるだろう。

    だが、失われた四肢を再生させることは、確かに複雑だ。クリスパー技術は道具箱の一つのツールに過ぎない。

    四肢再生のためには、関係するすべての遺伝子の理解が必要だ。この分野は日進月歩で技術が進んでおり、夢の応用がいつか実現することを楽観している。

    ── あなたは今後5~10年で、認知症やパーキンソン病、高コレステロール血症、筋萎縮性側索硬化症を引き起こす遺伝子を編集し直すことができるようになると予想している。

    一方、あなたは世代を超えて受け継がれる遺伝子操作に反対しているが、前述の遺伝子編集は1世代のみで消えるのか。遺伝子編集が成功すれば、多世代に受け継がれる編集をしたいという誘惑に駆られるのでは。

    ダウドナ 現時点では、研究者たちは個人の治療を目的とした非遺伝の編集のみを行っている。

    まれに、世代を超えて受け継がれる操作が必要になる場合もあるし、有害遺伝子を受け継がせないようにする誘惑についてもよく分かる。将来のある時点において、それを安全に行うことができるようになるだろう。

    だが、今はそこまで技術が進歩していない。世代間で受け継がれる遺伝子の編集は複雑な問題であり、異なる文化で違った意味を持つ。その能力が備わった時、治療しないことが非倫理的とみなされるようになるかもしれない。大変興味深い問題だが、まだ我々はそこには到達していない。

    ── クリスパー技術で編集された細胞のがん化を防ぐ方法は。

    ダウドナ クリスパー技術で細胞に編集を加える際に、意図せずしてがん化を引き起こす操作を行ってしまう可能性はある。

    そのような誤りが起こらないよう多くの努力が払われており、研究室において編集された細胞ががん化した例はない。

    その面でクリスパー技術がすでに安全であることを望んでいる。また、編集プロセスを改善し続けることに自信を持っている。

    「思慮深い」規制は必要

    ── 遺伝子編集でより優れた人間の子どもを生み出す、いわゆる「デザイナーベビー」については。

    ダウドナ 医療上の必要がないのに遺伝子編集を行うことは、われわれが落ちたくない方向性だ。世界中のステークホルダーが、イノベーションを妨げない形で思慮深く規制を作り上げる必要がある。

    ── 米国家安全保障局(NSA)は、「ゲノム編集は大量破壊兵器の一種になり得る」との報告書を発表した。

    また、山中教授も「悪用されれば人類が絶滅する」とまで言っている。

    ダウドナ 遺伝子編集が正しくない形で利用される懸念は理解する。しかし、一部の懸念は科学というよりも、サイエンスフィクションの域に入ってしまったように聞こえる。

    私はクリスパー技術に関して、科学者が「脅威になり得る」と考えるウイルスなど、他の分野の研究以上にも以下にも心配していない。

    有益な応用を推進すると同時に、悪用を最小化する方法を考えることが適切だと思う。この面に関しては、既に多くの研究が行われている。

    ── 有益な科学的発明は利潤が動機であることが多い。クリスパー技術が投資家・開発者と社会の双方に有益であるためには。

    ダウドナ この問いへの答えは、私が情熱をかけるものだ。私がカリフォルニア大学バークレー校に研究機関「イノベーティブ・ジェノミクス・インスティチュート」(IGI)を創設した理由でもある。

    クリスパーのような新しい技術の恩恵が、代価を支払える裕福な人に限られるリスクがあり、当初はそうなってしまうだろう。

    例えば、クリスパー技術を用いた鎌状赤血球症(遺伝性の貧血病)の治療は現時点で、基本的なものだけで100万ドル(約1億400万円)もかかってしまう。

    治療が行える医療機関も限られている。だが、時間の経過とともにコストは下がっていく。

    我々は、貧富の差にかかわらずすべての人が受益できるように、コストの下落が早まるよう努力しなければならない。

    IGIは非営利であり、必要とする人に安価に治療を提供することを目的としている。営利企業が利潤を上げる機会も一方である。

    営利・非営利の両方が共存できると思う。

    ジェンダー関係ない日を

    ── ノーベル賞受賞者は女性が男性より圧倒的に少ない。その理由をどう考えるか。

    ダウドナ 主に歴史、文化的規範、根強く残る性差別などが考えられる。理由はたくさんあるが、一つの賞に特有の現象ではない。

    少しずつ状況は変化しているが、文化の変容には時間がかかるものだ。

    ── あなたがノーベル賞を受賞した際に、面と向かって「それはあなたが女性だからだろう」と言った人がいたと聞く。人が偏見ではなく、業績や能力で評価されるには何が必要か。

    ダウドナ 賞を授与されることは素晴らしい気持ちだが、科学の分野で歴史的に過小評価されてきた人々の業績が評価されることが重要であるのは疑いない。

    その上で私にとって、評価されて最も満足であったのは、クリスパー技術が世界中の研究者に急速に採用され、私が考えつきもしなかった応用が行われていることだ。

    研究者が助成金を獲得し、採用され、賞をもらうことにおいて、ジェンダーが関係なくなる日が来ることを楽しみにしている。

    我々は明らかにそこには到達していないが、私のキャリアにおいて状況は良い方向に改善しており、正しい方向に向かっていると思う。

    ── クリスパー技術の今後の発展の方向性は?

    ダウドナ 遺伝子編集技術があるポイントまで進むと、極めて多くのポジティブな効果を生み出すことができる。

    現時点で最も大きなチャレンジは、塩基エディター(遺伝子を書き換えられるたんぱく質)をいかに目標とする細胞に送り届けるかということだ。正確に的中できるようになれば、一つずつではなく、複数の疾病を同時に治療できるようになる。

    これにより寿命を延ばし、生活の質を向上させることができれば、大きな経済効果が生まれるだろう。


    KEYWORD クリスパー・キャス9 ゲノム編集を格段に容易に

    生物の細胞の核の中にはDNA(デオキシリボ核酸)があり、DNAの塩基配列のうち生物の性質を決定づける部分が「遺伝子」だ。

    このDNAに含まれる全遺伝情報は「ゲノム」と呼ばれ、「ゲノム編集」は遺伝子の特定の場所を切断したり、別の遺伝子を入れ込んだりして、植物の品種改良や病気の治療につなげる技術を指す。

    ゲノム編集技術は1990年代から使われるようになったが、遺伝子を改変する際に使うたんぱく質を作り込むのに多くの手間や時間がかかっていた。

    2012年にダウドナ氏とドイツ・マックスプランク感染生物学研究所のエマニュエル・シャルパンティエ所長が発表したゲノム編集技術「クリスパー・キャス9」は、特定の遺伝子を狙った改変が格段に容易になった点で大きな意義を持つ。

    クリスパー・キャス9の特徴は、改変したい遺伝子と結合する「ガイドRNA(リボ核酸)」と、遺伝子を切断するハサミの役割の酵素「キャス9」を使うこと。

    ガイドRNAの作成は簡便で、ガイドRNAが結合した部分をキャス9が切り取ることで遺伝子を改変する。

    (編集部)

    (本誌初出 ジェニファー・ダウドナ 「すべての人のため技術を進歩 寿命が延びれば経済効果も大」 20210216)


     ■人物略歴

    Jennifer Doudna

     1964年2月、米ワシントンDC生まれ。85年米ポモナ・カレッジ卒業。89年米ハーバード大学で生化学の博士号取得。米コロラド大学、米エール大学を経て、2002年カリフォルニア大学バークレー校教授に就任。12年に仏生物学者エマニュエル・シャルパンティエ氏とともに、ゲノム編集技術「クリスパー・キャス9」に関する論文を発表。クリスパー・キャス9開発の業績で20年にノーベル化学賞を受賞。

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