脱炭素の今だからこそロシアの北極海LNGが日本に重要になる地政学的な理由
いま脱化石の切り札として水素に注目が集まっている。
水素社会の実現には需要をまかなう十分な量の確保が必要で、そこで注目されてくるのは現在生産されている水素の主要原料である天然ガスだ。
ガスは石油と異なり、中東にとどまらず、豪州や東南アジア、北米、さらに最大の埋蔵量を日本に最も近い大産油ガス国であるロシアが有する。
いま北極海を使った新たな海上輸送ルートが確立されようとしており、北極圏で巨大なLNG(液化天然ガス)開発と輸送プロジェクトが進められている。
北極圏という地球に残された最後の資源フロンティアでの開発への関与は、島国である日本が今後時間をかけて脱化石を進めるときに重要な場所だ。エネルギー安全保障の確保という点でも、地政学上の要衝である北極海における日本のプレゼンスを維持するうえでも重要な役割を担う可能性を秘めているからだ。
「排出ゼロ」は「化石燃料ゼロ」ではない
2020年は欧州発の脱炭素への動きと化石燃料代替としての水素エネルギーへの移行が世界を席捲した。
日本も2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする方針が打ち出された。
しかし、これは「今後30年間で化石燃料の使用をゼロにする」と宣言したわけではない。
排出ゼロとは「化石燃料の使用ゼロ」ではなく、「正味のゼロ」を目指すということだ。
実際、炭素排出のない水素などの新エネルギーや再生可能エネルギーを増やしたとしても、現下の莫大なエネルギー需要を賄うことは難しい。
化石燃料、とりわけ環境負荷の低い天然ガスが2050年までのエネルギートランジション(エネルギー大転換)における重要なエネルギー源となることは間違いない。天然ガスから排出された炭素は地下貯留や植林による森林吸収でオフセットする、という手法も検討されている。
水素を商機と捉えるロシア
再生可能エネルギーは価格低下が進み、世界的に普及しているが、化石燃料と同等のエネルギー密度、インフラ、市場規模、価格、需要を満たせる能力を有するに至ってない。
期待される水素も現時点では、その大半が天然ガスから生産されている。
ロシアはこの世界の動きに対し、危機感というよりは、水素が石油・天然ガス輸出に新たに加わる商機と捉えている。
ロシアの有力企業が水素に着手
ロシア政府は国営原子力企業ロスアトムや世界最大のガス企業ガスプロムに対し、2024年までに水素のパイロット生産を実現するよう指示している。
ロシアの北極圏でヤマルLNG、北極LNG-2という大型プロジェクトを推進するロシア第2の天然ガス大手ノバテクも本格的に水素生産プロジェクトを検討している。
脱炭素の潮流でロシア産のエネルギー調達が激減することはなく、むしろ日本にとってはガス供給源、そして期待される水素の調達先として、ロシアの重要性は高まっていく可能性が高い。
大型ガスパイプラインで対立するロシアと米欧
いま欧州最大のエネルギー需要国であるドイツとロシアとの間で建設が進む天然ガスパイプライン・ノルドストリーム2(NS2)を巡って世界が揺れている。
NS2はバルト海を通って独ロを直接結ぶ全長1200キロのガスパイプライン計画だ。すでに9割以上が完成しているが、欧州のロシアへのエネルギー依存がさらに強まるとして米国や、既存ルートを迂回されてしまいトランジット料(経由料)が減少するポーランドやウクライナが反対している。
本音では自国産LNGを欧州へ売りたい米国は、計画に参加する企業への制裁を打ち出し、パイプラインの完成を妨げようとしている。
米国制裁という火の粉に敏感な日本のエネルギー業界関係者もこの対立の行方を注視している。
さらに問題を複雑にしているのが、ロシアの反体制派リーダーのナワリヌイ氏毒殺未遂事件と同氏の刑務所収監問題だ。これに対する強権的なプーチン政権による抗議集会参加者への弾圧なども米欧は批判している。
米国や中東欧のほか、パイプライン建設を支持してきたドイツ政権内でも建設反対の声が上がっている。
似て非なるドイツと日本のロシア依存
ただ日本のエネルギー安全保障を考える時、ドイツのNS2で今起きていることはあまり参考にならない。
日独の共通点はロシアからのエネルギーフローを希求しているという点だけで、20世紀中葉から石油・天然ガスをロシアから輸入してきたドイツと、21世紀から本格化してきた日本とは大きな違いがあるからだ。
その違いを理解することは、日本のエネルギー安全保障を考える上で意義がある。
資源の輸入ソースが多様にある陸続きのドイツ
ドイツは資源の調達で島国日本にはない3つのアドバンテージを持っている。
一つは、ドイツをはじめとする欧州には陸続きの隣国としてロシアという巨大資源国が存在し、旧ソ連時代から構築されてきた十分な輸送インフラと半世紀以上にわたる安定供給という実績がある。 もう一つのアドバンテージは、欧州域内には、1959年にオランダで発見された大ガス田であるフローニンゲン、1960年代から本格的に開発されてきた英国とノルウェーの北海油ガス田といった巨大な天然資源の供給ソースがあることだ。
そして、3つ目は、大陸欧州は、アルジェリアやリビア、エジプトなど北アフリカから海底パイプラインやLNGでガスを輸入することもできる点だ。
さらに2020年にはカスピ海・アゼルバイジャンからの天然ガスパイプラインも開通している。
海で隔絶されたエネルギー多消費国・日本
一方の日本はドイツを上回るエネルギー消費国でありながら、海によって隔絶された結果、国際インフラが発展しにくく、域内にはさらにエネルギー消費の成長著しい中国がいる。
エネルギーは基本的に海上輸送がベースで、日本は1969年からLNG輸入を開始し、この分野での先駆者とはなったが、液化コストと輸送コストがかかるため世界的に見て相対的に高いエネルギーを使うことを強いられている。
依然として日本は原油調達では政情不安を抱える中東に偏重しており、天然ガスもパイプラインではなくLNGによる輸入一辺倒だ。・・・・・訂正 日本のLNG輸入開始は1969年でした。・・・・・
サウジと並び世界最大の生産量を誇るロシア
新たな供給源・供給ルートの多角化によるエネルギー安全保障の強化が求められる大需要国・日本にとって、いま重要な供給国はサウジアラビアと並ぶ世界最大規模の生産量を誇るロシアである。
ロシアからはサハリン、東シベリアそして北極圏ヤマル半島から原油、LNG、コンデンセートの輸入が始まっているが、まだまだ伸び代がある。
日本の安全保障を強化する「北極海航路」
世界に残された最後の炭化水素フロンティアといわれる北極資源を有するロシアは、日本のエネルギー安全保障強化にとって即効性のある資源供給国となり得る。
温暖化による海氷の減少によって、今後北極海が公海として開かれていくことを想定し、資源や物流、軍事・政治・法制面でも国際的関心が集まっている。
日本は資源の上流事業参画や北極海航路の活用を通じた同地域のステイクホルダー(利害関係者)になることで、議論への関与とプレゼンスを維持することができる。
したたかな資源バイヤー中国へのけん制
また、ロシアのクリミア併合に対する欧米制裁後、国際的に孤立し、中国へ偏重するロシアにとって、日本はしたたかな資源バイヤーとして急成長する中国に対するけん制役となる。
230億㌦、年産1980万㌧の「北極圏LNG」
このように見てくると、2019年に日本が参画した北極LNG-2(アルクチクLNG-2)と、このエネルギー輸送の最適化を図るムールマンスク・カムチャツカLNG積み替えターミナルは、北極海航路の位置づけを「欧州とアジアを結ぶバリューチェーン」に押し上げ、日本とロシア双方にメリットをもたらす可能性性を秘めていることが分かる。
北極LNG-2はノバテクがオペレータで、年産1980万㌧というサハリン2の約2倍のLNGを生産するプロジェクトだ。
総開発費は約210億~230億ドルが見込まれている。
2019年6月には三井物産と石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)が10%を参画し、日本貿易保険(NEXI)の海外投資保険も加わる。
砕氷LNG船で積み替え輸送
一方のムールマンスク・カムチャツカLNG積替基地は、浮体式LNG貯蔵設備(FSU)を建造し、これをムールマンスクとカムチャツカに設置する計画だ。
北極LNG-2などで生産されるLNGを海氷のある北極海航路では砕氷LNG船で輸送し、これをFSUに貯蔵してから、通常のLNG船に積み替える。海氷状況に適したスペックゆえに輸送効率の低い砕氷LNG船を北極海航路に集中させることで、LNG輸送の最適化を図り、需要地への安定したデリバリーを実現するプロジェクトだ。
この案件には商船三井と国際協力銀行(JBIC)が参加する計画で、2019年9月にノバテクとの間で覚書を締結している。
日ロ双方が得るメリット
この2つのプロジェクトは、日本から見れば供給源と北極海航路活用によるルートの多様化、北極資源へのアクセスと同地域でのプリゼンス確保というメリットがある。
一方のロシアにとっては対中偏重解消と日本の市場開拓、そして新たな資源フロンティアの開発を実現するという、双方の戦略目標が合致したプロジェクトといえる。
脱炭素とエネルギートランジションという世界の潮流のなかでその重要性は変わることはなく、ロシアが今後石油ガスに加えて水素を生産・輸出することになれば、日ロ双方の重要性はさらに増していくだろう。
(原田大輔・JOGMEC調査部・ロシアグループ)