国際・政治

ワクチン接種で世界最速のイスラエルで浮かびがったグリーンパスの課題

イスラエル国民の医療データをファイザーに提供することで十分な量のワクチンを確保できた(Bloomberg)
イスラエル国民の医療データをファイザーに提供することで十分な量のワクチンを確保できた(Bloomberg)

 新型コロナウイルスのワクチン接種が、最も速く進んでいるのが中東イスラエルだ。

 同国は、米ファイザーと独ビオンテックが開発したワクチンの接種を昨年12月19日に開始。3月22日までに、人口の約60%が少なくとも1回の接種を受け、必要とされる2回の接種を終えた人も約53%に上る(科学メディア「Our World in Data」より)。12月8日に世界で最初に同ワクチンが接種された英国の数字がそれぞれ約41%、約3%となっているのとは対照的だ。

1を下回った実効再生産数

 ただ、接種開始以降の1日当たりの新規感染者数を見ると、接種開始時の約2400人(7日間移動平均)から、1月中旬には約8600人(同)まで増加した。それ以降は減少基調にあり、2月下旬以降下げ止まる場面が見られたものの、3月23日時点では約1000人(同)まで減少した。陽性率も1月のピーク時には10%を超えていたものが1・7%へ、1人の感染者から何人に感染が広がるかを示す「実効再生産数」は拡大/収束の目安とされる1を大きく下回る0・6程度まで減少している。

 感染者数などの増減にはワクチンだけでなく人々の行動などさまざまな要素が関与することから上記の数字の減少がすべてワクチンの効果によるものとは言い切れない。

 しかし、2月7日以降、イスラエルでは都市封鎖の段階的な緩和が行われており、人々の活動レベルも上昇傾向にある。そうした中で感染者数が減少していることは注目に値する。

3月22日までに人口の約60%が少なくとも1回の接種を受けた(Bloomberg)
3月22日までに人口の約60%が少なくとも1回の接種を受けた(Bloomberg)

無症状感染を94%抑制

 個人レベルでの発症や重症化の予防については科学的に有効性が確認されている。

 イスラエル最大の健康保険組織(HMO)である「クラリット」の研究所と米ハーバード大のチームが2月24日付の米学術誌で報告したところによれば、イスラエルで約60万人ずつのワクチン接種者、非接種者を分析したところ、接種群は未接種群に比べて発症率が94%少なく、重症化率も92%少ないことが分かった。

 さらに、3月11日にイスラエル保健省、ファイザーおよびビオンテックによる発表(発表時点で未査読)によれば、無症状感染を94%抑制するという。

 無作為化されていないなど条件の違いはあるものの、臨床試験とほぼ同様の結果が現実の世界で示されたことは心強い。

変異株への有効性

 上記の有効性が新型コロナに関して、英国発の変異株「B1.1.7」が大半を占めると思われる状況での結果であるという点には留意が必要だ。

 複数の研究結果が、ファイザーとビオンテックによるワクチンが、南アフリカ変異株「B1.351」に対して、中和活性が低くなることを示している。

 ワクチンによって誘導される免疫システムは抗体だけではないため、変異株に対する予防効果は実際に変異株が流行しているところでの有効性を検証するほか無いが、注視しておきたい。

 なお、イスラエルにおいては「B1.526」と呼ばれるニューヨーク発の変異株の広がりが懸念されているが、こちらもワクチンの有効性を一部低下させる可能性がある。

イスラエル商都テルアビブ市内のワクチン接種の様子(丸紅提供)
イスラエル商都テルアビブ市内のワクチン接種の様子(丸紅提供)

ネットで申し込み翌日には接種

 イスラエルの接種ペースが早い理由として、人口が約93万人と比較的少なく、国民皆保険制度が存在することに加え、ワクチン供給元である米ファイザーに対して被接種者の医療データ提供することを見返りに、十分な量のワクチンが供給される契約が締結されたことなどが挙げられる。

 また、HMOは10年以上前から医療のデジタル化を進めてきた。今回のワクチン接種でもHMO加入者(イスラエル国民は加入義務あり)はもちろん、非加入者までもがネットを通じてワクチン接種の申し込みができる体制が整えられている。

 丸紅の現地駐在員(HMOには未加入)によれば、2月10日にネットで申込みをしたところ、翌11日には接種できたとのことであった。HMOのデジタルプラットフォームは接種後の医療データを迅速に入手することにも貢献している。

ワクチンの保管・輸送には国防軍も関与

 ワクチンの保管・輸送においてもイスラエルの強みが発揮された。ファイザー社のワクチンの課題の一つは低温の保管・輸送だ。駐在員によれば、今回のワクチンの保管・輸送にあたっては世界的な製薬会社でもあるイスラエルのテバが自社の施設を提供し、さらにイスラエル国防軍(IDF)までもが携わったという。

イスラエルではワクチン接種証明書「グリーン・パス」の発行が進む(Bloomberg)
イスラエルではワクチン接種証明書「グリーン・パス」の発行が進む(Bloomberg)

接種すれば「グリーン・パス」

 イスラエル政府は2月21日から、ワクチンを2回接種した人と新型コロナウイルスから回復した人に対して「グリーン・パス」の発行を開始した。グリーン・パスは、スポーツジムやイベント会場などで提示することで入場が認められるという、いわばワクチン接種者に対する優遇措置だ。

 こうした優遇措置導入の背景には、経済活動再開という狙いとともにワクチン接種の推進がある。ワクチンの接種は個人を守ることに加えて、感染を広げないことによってワクチンを接種していない周囲の人を守り、ひいては社会を感染から守るという役割がある。

接種率を上げるための優遇措置

 現時点で、15歳以下に対してはファイザーのワクチンは接種が認められていない。

 さらに、有効率が100%ではないことに加えて、変異株の広がりも懸念される状況においては、接種可能な人々はできるだけ早くかつ多くの人が接種することが公衆衛生の観点からは望ましい。

 ワクチン接種はイスラエルにおいては日本同様、個人の意思に委ねられている。

 副反応はゼロではなく、接種を避けようとする人も当然出てくるし、イスラエルにおいても一定数存在している。

 それゆえ、イスラエル政府はこうした優遇措置によって接種率を上げようとしている。

 こうした動きは他国にも見られ、EU(欧州連合)においてもグリーン・パスの導入が検討されているが、問題がないわけではない。一つは倫理的な観点からだ。

 そもそも現時点において、ワクチンは不足しているし、個人の意志に委ねられているワクチン接種によって差別的な扱いを受けることに繋がりかねない。

 そしてもう一つは科学的な観点だ。

 有効率が100%でないことや、どれだけ免疫が持続するかについては分かっていないことがその理由だ。

 ワクチン接種においても多くの課題はあるが、接種完了で課題が無くなるわけではない。

 各国は経済の正常化に向けて、難しい舵取りを求められることになりそうだ。

(近内 健・丸紅経済研究所チーフ・アナリスト)

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