週刊エコノミスト Online

新・炉辺の風おと/3 梨木香歩

「サンデー毎日5月9・16日合併号」表紙
「サンデー毎日5月9・16日合併号」表紙

鉄人の日々/3

 春の陽射しが、うららかという言葉通りに降り注いだある日、久しぶりに玄関先の露地を眺めた。人目には雑草だらけで手入れの行き届かない庭に見えているだろうけれど、住人(私)にはホトケノザやムラサキケマンなどが春の訪れを告げてくれる、貴重な定点観察の場なのだ。たくましいノゲシはすでに花をつけている。ハコベは柔らかな新芽を伸ばし始めた。

 様々な変化を確認しているうち、実生(みしょう)のムクノキ若木の根元に、見慣れぬアロエのようなものが出てきているのを発見した。肌の色や質感はアロエのようなのだが、形は細長い円錐(えんすい)(小人の三角帽を縦に引っ張ったような)で、これは一体、と思わずしゃがみ込んで、突然出現したオベリスクを検分、しげしげと見た。何か植えた覚えはまったくなかったのだが、もしかして、と思い当たることはあった。昨年、ちょうどその辺りにムサシアブミが出現した件である(「生命は今もどこかで」『炉辺の風おと』所収)。ムサシアブミは、一見薄気味悪く思われるテンナンショウ属の一つで、マムシが首をもたげたような姿形に野山で出会うとぞくっとするという人が多い。昨年はその芽生えを見逃したので、もしかしたらこれが、と思いついたのだった。調べると、果たしてそうだった。しかしそれからの展開は予測がつかなかった。

 数日の間に、三角帽の一部がタツノオトシゴの腹部のように膨れてきた。そしてその側面に、一本の亀裂(きれつ)が入った。翌日、翌々日と、その亀裂は幅が太くなり、どうやらいろいろなものが折り畳まれていることが見て取れた。ミツバのような形状の葉っぱ部分、花(仏炎苞(ぶつえんほう))部分などが、世界に出る前の青白くうなだれた状態から、徐々に外界へ向かって顔を上げ迫(せ)り出してくる。芽が出て双葉が出て本葉が出て……というような一般的な植物の芽生えとはまったく異なる様相だった。ほとんど、卵から雛(ひな)がぬるりと孵(かえ)るようなのだった。植物らしくなかった。不気味といえばこれ以上に不気味な芽生えは見たことがなかった。植物に詳しい友人は、「それにしてもドラマを持ち込むムサシアブミだ」と形容した。昨年からこの植物が出現したことを知っていたのだった。そういえば、と、初めてこの植物が現れてからしばらくして体に変調が出始めたのだと思い出した。あれは凶兆(きょうちょう)だったのだろうか? 抜いてしまうべきだったのだろうか。

 凶兆、と思われた出来事は他にもあった。我慢できる凶兆と、できない凶兆がある。これはなんとなく、底知れない不気味さが魅力だった。取り憑(つ)かれた、というほど夢中になっているわけではないし、惚(ほ)れ込んだわけでもないが、そこにいるなら別にかまわないような気がした。もしも主治医が「治療上、差し支えがあります。それは絶対に抜くべきです」と主張したなら(生まれ変わってもそんなことはおっしゃらないだろうけれど)、特段の心理的抵抗もなく取り去っただろう、その程度の執着。

 ずっと後になって、一生を織物のように見たら、ムサシアブミを点景にして、この時期の辺りは同じような色彩で彩られるのだろう。禍々(まがまが)しくともそこにあってふさわしいような気がした。

 なしき・かほ 作家。八ヶ岳の自然に囲まれた山小屋での日々を綴ったエッセイ集『炉辺の風おと』が好評発売中。近著に『物語のものがたり』『草木鳥鳥文様』

 サンデー毎日4月25日号掲載

 毎日新聞日曜くらぶで2020年9月まで「炉辺の風おと」を連載していただいた作家の梨木香歩さんに、サンデー毎日では4月11日号から「新・炉辺の風おと」を執筆しています。4月27日発売の「サンデー毎日5月9・16日合併号」には「鉄人の日々5」を掲載しています。

インタビュー

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

4月30日・5月7日合併号

崖っぷち中国14 今年は3%成長も。コロナ失政と産業高度化に失敗した習近平■柯隆17 米中スマホ競争 アップル販売24%減 ファーウェイがシェア逆転■高口康太18 習近平体制 「経済司令塔」不在の危うさ 側近は忖度と忠誠合戦に終始■斎藤尚登20 国潮熱 コスメやスマホの国産品販売増 排外主義を強め「 [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事