週刊エコノミスト Onlineワイドインタビュー問答有用

自転車ショップ経営=高岡亮寛・アマチュア自転車競技選手/844

「日本縦断のギネス世界記録を42歳で更新しました。長距離では年齢は関係ないんです」 撮影=蘆田剛
「日本縦断のギネス世界記録を42歳で更新しました。長距離では年齢は関係ないんです」 撮影=蘆田剛

 会社員生活の傍ら、自転車のアマチュアロードレースで数々の優勝成績を残し、「最強の自転車ホビーレーサー」と呼ばれた高岡亮寛さん。2020年に退職して都内で自転車ショップを開業。今も自転車の楽しみ方を伝えている。

(聞き手=和田肇・編集部)

「自転車はシニアでも楽しめると発信したい」

「人生は一度きり。挑戦して失敗したら、それも勉強だと思えばいい」

── 昨年8月、鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬まで、自転車で日本を縦断するギネス世界記録に挑戦し、それまでの記録を更新されました。なぜ日本縦断をしようと思ったのですか。

高岡 昨年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、自転車の競技大会が軒並み中止になりました。それに代わるチャレンジが何かできないかと考え、どうせやるなら、ギネス世界記録に挑戦しようと思いました。結果的に、それまでの記録だった7日間19時間37分を、6日間13時間28分に更新することができました。(ワイドインタビュー問答有用)

── さすがに自転車で日本縦断となると、体力に自信がないとできませんよね。42歳で挑戦されたのは大変だったのでは。ワイドインタビュー問答有用

高岡 年齢はあまり関係ないです。日本縦断のような長距離では、速く走ることではなく、継続することが重要です。「続ける」ことは、40歳でも50歳でもできる。自分も次第に年を取っていきますが、「ロードレースに勝てなくなったから、自転車を辞める」ではつまらない。自転車と長く付き合って、どれだけ楽しめるかが、自分の大きなテーマになっています。日本縦断ギネス世界記録への挑戦で、そのことをアピールしたい気持ちもありました。

 自転車競技には、公道を使って100~200キロメートルの長距離を走る「ロードレース」、傾斜のついたトラックを周回する「トラックレース」、山道を走る「マウンテンバイクレース」など、いくつかの種類がある。高岡さんが取り組むロードレース用には、ハンドルが下に曲がり、重量も10キログラム以下と軽量なロードバイク(またはロードレーサー)と呼ばれる自転車が使われる。

── いつごろからロードバイクに興味を持たれたのですか。

高岡 中学2年生の時、初めて入門用のロードバイクを買ったのがきっかけです。最初は自転車競技をやりたいと思っていたわけではなく、それまで乗っていた自転車が古くなったので、いろいろ雑誌などを見て、軽い気持ちでロードバイクに乗ってみようと思っただけです。購入してからは一人でサイクリングをしていました。神奈川県秦野市に住んでいたので、近くのヤビツ峠や足柄峠など、いろいろなところを走りました。楽しかったですね。

── 自転車競技を本格的に始めたのはいつですか。

高岡 高校時代です。神奈川県立の小田原高校に通っており、最初は陸上部に入ったのですが、3カ月で辞めました。中学生の時にサイクリングの友人ができて、自転車のロードレース競技に興味を持つようになり、自分でもひそかに「自転車に向いている」と思っていました。それで、高校で自転車のロードレースを本格的にやってみたい、と両親を説得しました。しかし、高校は一般的な公立高校で、自転車部なんてありません。

「一人自転車部」を創設

昨年8月、6日と13時間28分で鹿児島県佐多岬から北海道宗谷岬までを走破した。 高岡亮寛さん提供
昨年8月、6日と13時間28分で鹿児島県佐多岬から北海道宗谷岬までを走破した。 高岡亮寛さん提供

── 部がないのに、どうしたんですか。

高岡 陸上部を辞めてから、授業が終わると電車で小田原から秦野市の自宅に急いで帰り、一人でロードバイクに乗って練習をしていました。隣町に住んでいたサイクリングの友人のつながりで仲間が何人かでき、週末は一緒に練習したりもしました。しかし、高校総体に出場するには、部活動として高体連に登録が必要でした。それで高校2年生の時に、先生に頼んで形だけの「一人自転車部」をつくってもらったんです。部員は自分一人。先生は一切ノータッチで、練習はそれまで通り、自宅に帰ってから一人でやっていました。

── その結果、どうなりましたか。

高岡 一緒に練習していた人たちの中には、実力者もいました。例えば、サイクリングの友人の四つ上のお兄さんは、後に国内トップチームに所属して全日本選手権やアジア選手権で優勝し、アテネ五輪の日本代表にも選ばれた人でした。そういう国内トップクラスの人たちと一緒に練習をしていたので、「同じ高校生なら負けない」と思うようになりました。実力もついてきて、国体やその他の大会にも出て、高校3年生の時に国際サイクルロードレース大会の「ジュニアの部」の2日目のレースで優勝しました。

── 自転車漬けの毎日だったようですが、高校卒業後は慶応大学商学部に指定校推薦で入られたそうですね。学業の方も優秀だったんですね。

高岡 受験勉強をしたくなかったんです。自転車の練習時間が減りますから(笑)。

── プロの自転車選手になろうとは思わなかったんですか。

高岡 自転車ロードレースの世界は、日本と比べて欧米のレベルが圧倒的に高い。いくら日本で強くても、海外に行けばかなり下の方です。プロで生活を続けていける人は本当にひと握りしかいません。そうした事情が高校生の時に分かっていたので、プロになることは全く考えていませんでした。

── とはいえ、大学時代の1998年にロードレース世界選手権にU─23日本代表として出場して完走。99年には全日本大学対抗選手権ロードレース大会で優勝するなど、優秀な成績を残しています。

高岡 大学では自転車部に入らず、社会人実業団のチームで練習をさせてもらっていました。その影響が大きかったと思います。98年の世界選手権U─23日本代表の時には、世界選手権に専念するため、大学を1年間休学しました。復学してからの大学3~4年生時には、学生日本一のタイトルを狙いたいと思い、大学の自転車競技部に入りました。

外資系金融会社に就職へ

── 大学卒業後は外資系金融機関の日本法人に就職されたんですね。

高岡 特に志望業界はありませんでした。就職した外資系金融機関は、一番初めにアプローチしたところです。すごく面白い会社だと思いました。外資系だからでしょう、日本企業と全くカルチャーが違いました。

── どの部署に配属されたのですか。

高岡 その会社では、採用は会社ではなく部署の中のチームがしていたんです。自分は債券部のデリバティブ(金融派生商品)の開発チームに採用されました。入社以降もずっと同じ部署。専門職、スペシャリストを育成するのが目的です。

── 外資系で金融ですから、待遇はかなりよかったのでは。

高岡 外資系は年齢はあまり関係ないですから、一般的に言えば、30歳でもかなりいい給料をもらえます(笑)。でもやはり、2008年のリーマン・ショックの影響は大きかったですね。自分の勤めていた会社も、人がずいぶん減りました。外資系のグローバル企業だったので、昇進や処遇に年齢は関係なく、非常に楽しく、やりがいがありました。外資系企業が持つ価値観やカルチャーなど、至る所に“世界”を感じられたのが良い経験でしたね。結果を残すことが評価における最も重要な点だったので、そこはスポーツと共通点が多かったです。

── 就職後、自転車の方はどうされていたんですか。

高岡 入社後は忙しくて余裕もないので、ロードバイクにはほとんど乗らなかったですね。再び乗るようになったのは、入社6年目の06年です。仕事にも慣れてきて、「少し運動しよう」と思って乗り始めました。そんな程度です。

 再びロードバイクに乗り始めた高岡さんはアマチュア部門で数多くの優勝を重ねた。特にアマチュアロードレースの最高峰といわれる「ツール・ド・おきなわ」の「市民210キロメートルの部」では、3連覇を含む6回の優勝を誇る。同レース事務局によると、全国の猛者が集う「市民210キロメートルの部」は、優勝経験者が厳しいマークを受けるため、複数回の優勝は難しいという。

── 忙しい外資系会社にいて、なぜそんなに優勝できたのですか。

高岡 練習は帰宅後か早朝にしており、せいぜい1~2時間。入社して5~6年もたつと仕事に慣れてきて、時間配分がうまくできるようになってきました。それが成績にもつながったと思います。

── 当時は「最強のアマチュアレーサー」と呼ばれていましたね。20年に約19年勤めた外資系金融会社を退職したのはなぜ?

高岡 外資系なので、60歳の定年まで勤めるような会社ではありません。入社時に同じ部署に16人の同期がいましたが、自分が会社を辞めた時に残っていたのは2~3人。だから、逆に辞めるタイミングが遅かったという感じでした。辞めた人の中には、それこそ裸一貫でチャレンジしている人もいました。今までの延長で安定した職場でだらだらと仕事をするより、人生は一度きりなので、好きなことをやってみたいと思いました。厳しい道ですが、失敗したらそれも勉強だと思えばいい、と。

退職して自転車店を開業

昨年4月に都内目黒区で開業したスポーツ自転車のショップの前で 撮影=蘆田剛
昨年4月に都内目黒区で開業したスポーツ自転車のショップの前で 撮影=蘆田剛

 約半年の準備期間を経て、退職後の20年4月、東京都目黒区の目黒通り沿いに、ロードバイクなどスポーツバイク専門の自転車店をオープンした。また、アマチュアの自転車競技チームもつくり、その代表も務める。お店は「自転車の楽しみ方を伝える」をコンセプトに、初心者から経験の長い人まで幅広い層が訪れる。

── 会社をやめたら、自分の自転車の店を持とうと考えていたのですか。

高岡 最初は考えていませんでした。あらかじめ細かく計画を立てて、店を開業したわけではなく、とりえず走りながら考えるといった感じでした。自分は自転車をいじったり、自転車に乗ったり、自転車に囲まれていることが好きなので、やはり好きなことをやろうと思って、自転車のお店を出すことに決めました。

── それまでの金融の知識は商売に役立っていますか。

高岡 直接的にはないですが、競争の非常に厳しい環境の中で、多くの優秀な人たちに囲まれて働いていた経験は代えがたい。それが役に立っていると思います。

楽しみ方を伝える

── 密を避けるといった世の中の傾向から、自転車業界は景気が良いと聞いています。

高岡 お店を開業したのは、新型コロナウイルス感染拡大の真っただ中でした。密を避けられて健康にもいいという事情からか、自転車の需要は非常に増えており、ロードバイクのようなスポーツバイクは、メーカー側の供給が全然、追い付いていない状況です。我々のような小売店もお客さんのニーズがすごくあるのに、それに十分応えられない。だから、思われているほど、店の景気が良いわけでもありません。

── 今後のお店の経営をどう考えていますか。

高岡 今後、日本の人口構成はシニア層がより増えていきます。例えば、自転車スポーツには「ブルべ」という、600キロメートルとか1200キロメートルなどかなりの長距離を走る分野がありますが、長距離の分野では50代でも全然楽しめます。今後は、シニア層が健康的にスポーツを楽しめることが、社会的にも非常に重要だと思います。だから「自転車は40代、50代、60代になっても、まだまだ十分、楽しめますよ」ということを発信していきたいですね。多くのシニア層の方々がロードバイクを楽しめると分かれば、スポーツバイクのユーザーはかなり広がっていくと思います。


 ●プロフィール●

高岡亮寛(たかおか・あきひろ)

 1977年生まれ。神奈川県出身。2001年慶応大学商学部卒業。高校時代から自転車ロードレース競技を始める。大学卒業後、ゴールドマン・サックスの日本法人に勤める傍ら、「ツール・ド・おきなわ」での6度の優勝(市民210キロメートルの部)など、数々のレースで優勝を重ねる。20年3月にゴールドマン・サックスを退職。同年4月に都内にスポーツバイク専門の自転車店「RX BIKE」を開業。同年8月に自転車による日本縦断ギネス世界記録を更新した。

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