週刊エコノミスト Online

埼玉が生んだ偉人・諸井恒平【渋沢栄一がわかる】

栄一ゆかりの人物 セメント事業の開拓者

 同郷の渋沢栄一に導かれて実業界に飛び込んだ諸井恒平。れんが、鉄道発電、毛織物などさまざまな分野で経験を積んだ後、セメント事業の礎を築いた。渋沢栄一を尊敬し続け、埼玉県の発展のみならず、その理念を受け継いでビジネスを実践した。※毎日ムック・ニュースがわかる特別編「渋沢栄一がわかる」より

15歳で家業を継いで奮闘 

 恒平は1862(文久2)年、武蔵国児玉郡本庄宿(現在の埼玉県本庄市)の蚕糸業をを営む家に生まれた。15歳の時、父を亡くし、傾きかけている家業を継ぐことになった恒平は、10年もの間、その再建に尽力する。そんな恒平に事業経営者としての才覚を感じて声をかけたのが、母親・佐久のいとこにあたる渋沢栄一だった。

れんがの会社から実業家人生をスタート

 26歳の恒平は、1887(明治20)年、栄一が設立した日本煉瓦製造株式会社に入社する。当時、れんがで造られた欧風建築は文明開化の象徴だった。ドイツ人技師を招き、れんがの大量生産を目指して官民一体でスタートした会社だったが、はじめはドイツと日本の気候風土の違いから品質に大きな差が出たり、運搬の交通が整っていなかったり、川の氾濫で工場が浸水するなどの困難に見舞われる。しかし、乾燥方法の改良や専用鉄道の新設などによって問題は徐々に解消され、やがて事業は軌道に乗る。初代社長・渋沢栄一の後を継ぎ、2代目社長となったのは恒平であった。

 ニュースがわかるオンラインでは、記事全文を公開中。

詳しくはhttps://www.newsgawakaru.com/learn/1962/

インタビュー

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

4月16日・23日合併号

今こそ知りたい! 世界経済入門第1部 マクロ、国際政治編14 長短金利逆転でも景気堅調 「ジンクス」破る米国経済■桐山友一17 米大統領選 「二つの米国」の分断深く バイデン、トランプ氏拮抗■前嶋和弘18 貿易・投資 世界の分断とブロック化で「スローバリゼーション」進行■伊藤博敏20 金融政策 物価 [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事