週刊エコノミスト Online小佐野彈の 虹色の島から

台湾でビジネスを営む僕が、日本人学生の間で台湾留学が人気と聞いてうなずくこれだけの理由=小佐野彈

台湾一の名門、国立台湾大学
台湾一の名門、国立台湾大学

 新型コロナウイルス禍が始まり、日本に帰れなくなってちょうど1年半が経つ。台湾に暮らし、当地でビジネスを営むようになってから、これだけ長い間、台湾の外に出なかったのは初めてだし、38年の人生でこれほど飛行機に乗らなかったのも初めてだ。とはいえ、一箇所に留め置かれる、という経験は、思いがけない出会いももたらしてくれた。

 これまで僕の台湾での人間関係は、ビジネス上の取引先や、同年代の日本人駐在員が中心だった。ところがずっと台湾から離れずにいるせいで、時おり顔を出す飲み屋やバーで、今まで付き合いのほとんどなかった、10代から20代前半の日本人留学生たちとの交流がうまれた。

台湾留学の理由は「日本より学費が安いから」

 彼らによると、いま日本の高校生たちの進路として、台湾の大学への留学がにわかにブームになっているという。僕が台湾で起業した2010年、台湾に留学にやってくる日本人は、台湾やアジアを専門的に研究する大学院生がほとんどで、いわゆる普通の学部学生として台湾の各大学に通う日本人は少数派だった。今では、都内はもちろん、大阪や北海道、福岡などの各地域に、台湾留学を目指す人たちのための予備校や専門学校ができているらしい。

 こうした学校ではまず中国語の基礎を習得し、そのレベルに応じて、台湾の各大学への推薦入学を目指す。高校1年生から通うひともいれば、3年生で進路に悩み抜いたすえ、短期集中で通う生徒もいて、まちまちだ。学費は決して安くはないが、国立政治大や中国文化大など台湾の名門大学への合格実績のある予備校もあるほか、カリキュラムをきちんと修了すれば、一部提携大学への入学がほぼ保証されているケースもあるようだ。

 僕が大学院の修士・博士課程で経済学を学んでいた十数年前、留学先といえばアメリカのアイビーリーグ諸大学や、イギリスのオックスブリッジ(オックスフォード大とケンブリッジ大)といったような欧米の歴史ある名門校が主流だった。

 ただ、アメリカの名門大に1年通うとなると、学費や寮費、生活費等を併せて日本円で1000万円を超える。僕の、大学や大学院時代の同級生でハーバードやプリンストンに留学したひとが何人かいるけれど、彼らは一様に奨学金の獲得に必死だった。

 僕の通っていた慶応大学をはじめ、日本の私立大学の学費は決して安くはないけれど、それでも生活費や寮費なども含め、かかる費用は欧米の名門校より8割近く安い。

 台湾の大学に留学している日本人留学生たちに話を聞いてみると、台湾の大学に留学を決めた理由は「日本よりもさらに学費が安いから」という答えが一番多かった。台湾一の名門とされる国立台湾大学ですら寮費も含めて学費は年間30~50万円ほどで、ほかの国立大や私立大学も、やはり同様の水準だという。

また、最近僕の麻雀仲間になってくれた大学生が「台湾は日本人社会が狭い分、息苦しさもあるけれど、日本にいたら決して出会えないような東大出身のエリートの人や、作家や小説家など芸術家の人とも交流が持てる。コロナで台湾から出られないなか、自分を大学生として見下したりせず対等に接してくれる大人が多いのに気がついた。それだけでも留学に来てよかった」と話していたのが印象的だった。

英語の教科書を使って中国語で講義を受ける

 台湾の大学において専門科目の教科書は、英語のものが使われることが多い。日本は明治維新以前から欧米の学問に接してきたが、その分翻訳も多くなされるようになった。哲学書から古典文学、果ては各分野の専門書に至るまで、これだけ多くの訳書が出ているのは、世界的に見ても日本くらいだ。台湾などの中華圏では、専門書が翻訳されることは多くない。結果として、大学で使われる教科書の多くは英語になる。英語の教科書を使い、中国語で講義を受ける――というスタイルが、台湾の大学では一般的だ。必然的に、中国語と英語の2言語を自然と習得できるというわけだ。

卒業できずに客引きで食いつなぐひとたちも…

 台湾では、国立台湾大学のようないわゆる「最高学府」への入学も、比較的容易だ。その分、台湾の大学は日本の大学に比べて卒業までの道のりは険しい。多くの大学にハードなコースワークがあり、ほとんどの授業が少人数制で、出席が必須だ。日本のように、代返などは通用しない。

 日本ではいわゆる一流大学への進学が難しいと判断され、進路指導で勧められて台湾留学向け予備校に通うことになり、そこで培った最低限の中国語力だけで台湾の中堅大学に進学した、というパターンの学生も少なくない。入学できたはいいものの、結局授業のレベルについて行けず留年してしまったひとや、最悪の場合退学になってしまい、現地に不法滞在しながら客引きなどの仕事で食いつないでいる元・留学生にも会ったことがある。

 ただ、逆に言えば、台湾の大学を卒業できた、ということは日本の一流大学卒業者と同等以上に語学力や基礎学力を獲得できた、ということでもある。事実、僕の会社で面接した台湾の大卒者の多くが高い英語力やコミュニケーション力を持っている。

 台湾の大学を卒業した日本人留学生たちの就職先は、日本企業が主ではあるが、なかには台湾を離れがたく、そのまま現地で就職するひともいる。

留学生も「全民健康保険」の対象

 国民皆保険の制度がないアメリカへ留学した学生は、事前に民間の保険に加入し、それでもなお病気や事故の際には保険申請の煩雑な手続きなどに苦労することも多い。病院に払うデポジットなども高額だ。その点、留学生も含め、居留ビザおよび居留証保持者も全民健康保険(国民健康保険に相当)への加入が義務付けられ、医療水準が極めて高いにもかかわらず医療費が安い台湾ならば安心だ。

 最近では日本の大学も、タイムズ誌や上海交通大学が算出する「世界大学ランキング」を意識することが多くなり、国際化に努めている。僕の母校・慶応大でも、入学から卒業まで、全て英語で修了できるカリキュラムができた。少子化によって、日本の大学は全世界から学生を迎え入れなければ生き残れなくなっている。それは、日本より合計特殊出生率の水準が低い台湾をはじめ、他のアジア諸国も同様だ。

 世界大学ランキングを見ていると、シンガポールの南洋科技大学や香港大学、中国の北京大学や清華大学、あるいは韓国の諸大学などが軒並みトップに近い位置へ踊り出ている。アジアが世界経済の牽引者となったいま、アジアの新興大学への留学は、欧米の名門大学への留学以上のキャリアをもたらしてくれる可能性すらある。

 健全な民主主義が根付き、言論と学問の自由が完全に保証され、学術レベルが高いことにくわえて学費と生活費の安い台湾は、留学先として大きなポテンシャルを秘めているといえるだろう。

小佐野 彈(おさの だん)

 1983年東京生まれ。慶応義塾大学経済学部卒、慶応義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了。第63回現代歌人協会賞受賞。18年に歌集『メタリック』(短歌研究社)、19年に小説『車軸』(集英社)を刊行。最新作は中編小説「したたる落果」(「文學界」2021年1月号)。台湾を拠点にメルボルン、ロンドンなどで日本茶カフェチェーン「TSUJIRI辻利茶舗」を経営する。台湾台北市在住。

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