国際・政治

感染者の比較的少ない日本でなぜ医療の逼迫が起きるのか=高久玲音

    <コロナと経済学者>中小民間病院への高い依存と患者分散が医療逼迫を引き起こした=高久玲音

     世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス──。7月1日時点で日本でも累計の患者数は80万人を超え、死亡者数も1万4000人に達している。日々コロナの診療にあたる医療者の苦労はメディアを通じて盛んに報道されており、医療を逼迫(ひっぱく)させないために緊急事態宣言やまん延防止等重点措置など国民に広く負担を強いる政策も取られ続けている。

     しかしその一方で、自粛が長引く中で、国民は少なからず医療界の現状について疑問を抱いてもいる。端的に、「日本では病床数が世界一多く、感染者数も少ないので医療の逼迫さえなければ、経済を回せたのでは?」という疑問だ。

    世界一の病床数の国でなぜ

     実際に、先進諸国を対象として、横軸に人口当たり病床数、縦軸に2020年の実質GDP(国内総生産)成長率をとった散布図を作成すると、両者には一定の相関がある(図)。感染が拡大したドイツ、フランス、英国などの欧州諸国をみても、欧州で最も病床の多かったドイツの経済的損失は軽微なほうだった。

     特にドイツは集中治療室(ICU)病床数が人口10万人当たり29~30床と、イタリア(約12床)の3倍ほどであり、欧州では最も医療が逼迫しにくい国の一つとなっている。反対に、リーマン・ショック(08年)以降、医療費抑制を続けてきたイタリアでは、感染拡大のかなり初期において医療が崩壊してしまっていた。第1波の北イタリアの医療現場の悲惨な状況は、国民に恐怖を植え付けるに十分で、そうした恐怖の結果として大きな経済損失を伴う自粛政策が導入されている可能性もある。

     こうした相関関係は各国で医療体制の崩壊が経済に対して、強い政策を取る大きな理由だったこととも整合的だ。

     さて、この相関を考えた時に非常に特異な場所に位置づけられるのが日本だ。日本は世界一病床数が多く、人口1000人当たり病床数は、ドイツの8床に対して13床である。その一方で、実質GDPの低下幅は感染者数の多かったドイツと同等である。病床が多ければ医療の逼迫も少なく、その分過度な自粛から解放されるのも早い……という相関関係は、日本には当てはまらないのだろうか?

     日本の環境で医療の逼迫が起こってしまった重要な要因は、病院の所有構造にある。公的に病院が所有されている欧州と異なり、日本は民間病院が中心となっており、感染症の流行する都市部で特に中小民間病院が多いという特徴がある。

    都の公的部門病床は15%

     例えば、東京の病床で公的部門によって保有されている病床は全体の15%程度に過ぎない。コロナ患者を受け入れるためには、多くの患者の通常医療をキャンセルする必要があり、民間病院では相応の補填(ほてん)がない限りコロナ患者の治療は難しいのが現状である。政府は診療報酬の引き上げによって、コロナ患者受け入れのインセンティブ(誘因)を高めようとしているものの、うまく機能しているとは言い難い。

     また、民間病院の経営について政府が緊急事態を理由に誘導を行うことは難しく、現状では強制力を伴わない患者受け入れの要請にとどまっている。

     次に重要な要因として、行政側でも患者の受け入れ病院を分散させてしまった点が挙げられる。

     例えば、大阪では一定の基準を持つ病院に1床や2床の病床提供を呼びかけていた。その他の地域でもほぼ同様であり、数多くの医療機関が少数のコロナ病床を提供することで、コロナ禍を乗り切ろうとしている。

     具体的には、コロナ患者の受け入れに積極的だった東京医科歯科大学病院でも、コロナ患者の病床数は50~60床で推移していた。この分散型受れ入れ政策は、コロナ患者の病態の急変を考慮すると、高度な医療機関の連携によってはじめて機能するし、実際に各地の医師会は医療機関の連携の必要性を繰り返し訴えていた。

     しかし、現実は軽快したコロナ患者の退院先が見つからず重症者のベッドにとどまり、新規に重症化した患者の受け入れ先を探すことが、すぐに困難になってしまった。患者を分散させて個々の病院の負担を減らしながら医療機関の華麗な連携によってコロナ患者をさばく……という政策方針は、実際には少ないコロナ患者数にもかかわらず機能不全に陥り、経営面ではコロナ患者の受け入れに伴う減収を多くの病院に拡散させることにつながった。

     一方、多くの国では、平時から医療機能が集約化されていることもあり、大規模な病院による積極的なコロナ患者の受け入れが行われた。

    献身的医療の限界

     例えば、英国のバーツNHS(国民保健サービス)トラストはロンドンを中心に合計1800床の病床を持つ大規模病院群だが、ピーク時には最大800人以上のコロナ患者が入院し、常時150人以上の人工呼吸器をつけた患者を診療していた。

     ひるがえって、日本の提供体制ではエクモ(人工肺とポンプを用いた体外循環回路による治療)の操作を行える集中治療専門医が1人だけで、ICUを持っている病院も多いことが指摘されており、そうした平時における医療資源の分散が逼迫をもたらしてしまった要因として、たびたび指摘されている。

     行政府も確保病床数の「総数」のみに関心を持っており、「コロナ患者を500床診る強力な受け入れ病院が一つある場合(集約型)」と「5床ずつコロナ患者を診る病院が100ある場合(分散型)」で実際の受け入れ能力が全く異なることに気づかなかった可能性が高い。

     なお、強力に患者を受け入れる公的病院を政策的に作るという点は、当初から日本の政策にはない視点だったが、最後にその理由についても触れたい。医療者の感覚としては、コロナ患者を強力に受け入れるような余力が日本の病院全体にない点がまず挙がるだろう。

     日本は歴史的に低い医療費で優れた医療アクセスを国民に提供し続けてきた国である一方で、それは主に医療者(特に勤務医)の献身的な労働によって成り立っていた。医療の逼迫は確かに政策的工夫で緩和できたかもしれないが、逼迫をもたらした大きな要因の一つは、私たちが知らない間に医療者から受けている恩恵ともつながっていることを忘れてはならない。今後、勤務医の働き方や医療機能の分散の問題など、平時の問題とセットにした形で感染症対策が話し合われる必要がある。

    (高久玲音・一橋大学 経済学研究科准教授)


     ■人物略歴

    たかく・れお

     1984年生まれ。2007年慶応義塾大学(商学)卒業。19年から現職。専門は医療経済学。

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