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週刊エコノミスト Online ワイドインタビュー問答有用

40歳で発達障害であることを公表して僕が「得たもの」 落語家・柳家花緑

「今はコロナで難しいけど、大会場でみんなが涙流して笑ってくれた時に、落語家になってよかったなと思います」 撮影=佐々木龍
「今はコロナで難しいけど、大会場でみんなが涙流して笑ってくれた時に、落語家になってよかったなと思います」 撮影=佐々木龍

発達障害とともに歩む=柳家花緑・落語家/859

 40歳で発達障害であると分かるまで、読み書きが苦手な自分に自信を持てず、「努力が足りないせいだ」と思い悩んできた。発達障害児の親や支援団体の集まりにも積極的に参加して、障害への理解を広げる活動に熱心に取り組む。

(聞き手=市川明代・編集部)

「障害を公表して、萎縮していた自分を解放できた」

「年を重ね、工夫を重ねて、困難を克服してきました。自分のトリセツを得たのです」

── 40歳の時に発達障害であると分かり、4年前の2017年に公表しました。

花緑 僕は、発達障害の中でも特に学習障害(LD)に苦しんできました。読み書きが苦手で、疲れたり緊張したりすると、普段読めている字まで記号のように見えてしまって読めなくなる。

 苦い経験は数え切れないほど。落語の見習いの前座の仕事に、その日に出た演目を「ネタ帳」に書くというのがあります。10代のころの話ですが、例えば「子別れ」という演目名を書こうと思ったら、漢字が出てこない。当時はスマートフォンもないから、困って主催者のおじさんに聞くわけです。そしたら軽蔑したような目で、ささっと書いた紙をつっけんどんに渡されて。そんな恥ずかしい思いをたびたびしました。

 地方公演で景品などの抽選会があると、当選したお客さんの名前を読み上げるんですが、これも恐怖でした。半泣きになりながら他の人に頼み込んで、読んでもらったりしていました。(ワイドインタビュー問答有用)

── 障害が分かったのは、テレビの視聴者からの手紙がきっかけだったそうですね。

花緑 いろんな業界の人たちがひな壇に並んで、順番に業界の裏話を暴露する、という番組でした。13年のことです。僕は人のうわさ話に関心はないし、自分で自分をおとしめればネタになるだろうと思って、打ち合わせで子どもの頃にいかに成績が悪かったかという話をしたら、ディレクターさんが「その話で行きましょう。通知表を持ってきてください」と。

 教科書が読めないから、国語だけじゃなくて算数も理科も、主要科目はすべてダメなわけです。「1」が並んだ通知表を披露したら、視聴者から「うちの息子も師匠と同じです。師匠はディスレクシア(識字障害)ではないでしょうか」というメールが届きました。

社会と折り合いがつく

最近は若い頃失敗した演目の「練り直し」にも力を入れる(本人提供)
最近は若い頃失敗した演目の「練り直し」にも力を入れる(本人提供)

── 最初は、受け入れられなかったとか。

花緑 でも返事は丁寧に返さなきゃと思ったので、「違いますよ。その証拠に美術と音楽の成績はとても良かったのです」と返信すると、またメールが来て、「うちの息子もそうでした。それがディスレクシアの特徴の一つです」と、太鼓判を押されてしまいました。

── その後、発達障害と診断を受けた。どう感じましたか。

花緑 それまで、読み書きができないのは努力が足りないせいだと自分を責めていました。隠そう隠そうとしていました。小学生の漢字ドリルからやり直せば、僕も「人並み」になれるんじゃないか。そう思って本を買いあさっては、辞書や漢和辞典を駆使して勉強しました。でも、集中して読むことができず、覚えてもすぐに忘れてしまう。

 自分のせいではなかった、障害のせいだったんだと分かって、「これで社会と折り合いがつく」と思いました。心の“止まり木”を得たような気持ちでした。

── 後に、注意欠陥多動性障害(ADHD)を併発していると分かったわけですね。

花緑 発達障害の研究の第一人者で精神科医の岩波明先生と対談した時に、「師匠が悩まれているのはむしろ、LDよりADHDではないですか」と指摘されたのです。

 人間国宝・5代目柳家小さんを祖父に持ち、落語に触れて育った。子どもの頃、兄(振付家の小林十市さん、元バレエダンサー)とともにバレエを習い、兄弟で初の舞台に立った時に、英国から来日した演出家のユニークな演出で、他のダンサーのまたの下をくぐったり舞台に遅れて登場したりして客席を笑わせる。その姿を見た母・小林喜美子さんが、「この子を落語家にしよう」と決めたのだという。

── 子どもの頃のことを教えてください。

花緑 教室では、いつもふざけていました。調子に乗って、授業中もしゃべり続けて怒られる。通知表には「とどまるところを知らない」と書かれていました。ADHDの症状に、「過剰集中」というのがあります。ブロック玩具なんかを一心不乱に続ける子どももいますが、僕の場合、放っておけばいくらでもしゃべるわけです。

落語家・柳家花緑師匠
落語家・柳家花緑師匠

 でも、頭をフル回転しすぎて、人より早く“電池切れ”になる。家に帰ると疲れて寝てしまう。翌朝学校で忘れ物をして怒られ、宿題をしていなくて怒られる。

── 落語家になりなさいと親に言われた時、反発はしなかったんですか。

花緑 うちは特殊な家庭です。子どもの頃から、目の前で柳家小さんという大スターを見て育ちました。テレビに祖父が出ていない日は一日もなかった。反発とか抵抗とか、そんなものはないわけです。

── そして、すぐに茶の間の人気者に。

花緑 小学3年ぐらいから稽古(けいこ)を始めてすぐに初高座があって、7分しゃべっただけで褒められました。学校では褒められたことなんかなかったですから、僕にとっては救いでしたよ。テレビのワイドショーに出たら、「見たよ、すげえな」って、次の日は学校でスター扱いです。

 ただ、授業が始まると下を向き、耐えがたい時間を過ごす。「教科書を読んでみなさい」と言われても読めなくて笑われるわけです。

── 22歳で戦後最年少の真打ちになります。

花緑 「小さんの孫」というだけで真打ちになっちゃったと、思っていました。いま振り返ると自分が当時思っていたほどには“下手っぴ”ではなかったですが、いろんな意味で「青い」まま真打ちになってしまったわけですから。

自信を持てず、もがいた

── 自信を持てなかった?

花緑 字を書けない、モノを知らない、そういう自分に対する自信のなさが、ありました。落語の「枕」は、自分のプロフィールから入ったりしますよね。自分に自信のない人の高座は、どこか卑屈です。若手芸人で「つまんなくても笑ってください」なんて言う人がいますが、あれは自信のなさの表れで、僕もその一人でした。

── 思い悩み、「死」を考えるほどだった。

花緑 真打ちの手前の二ツ目の頃から精神的に不安定でした。お客さんの前で暗い顔はできないから無理して笑う。だから、家に帰って一人でいる時に反動がくるんです。心のシャッターを下ろしてしまって電話にも出られない。インタビューを受けたら、本音を隠して取り繕うから、後で落ち込む。逆に、障害のせいでコントロールが利かなくなると、言わなくてもいいことまでしゃべって、やっぱり落ち込むわけです。

── しかし、20代後半から賞を取ったり、密着ドキュメンタリーに出たり。自信が付いたのですか。

花緑 ピアノを弾き、ブレークダンスを踊る落語家。キワモノ的な扱いで、テレビのレギュラー番組が増えていくわけです。でも相変わらず、しゃべってはいけないところでしゃべり過ぎ、字が読めなくて、なんとかその場を取り繕う。だましだまし生きていたように思います。

 一度、音楽番組の司会の話をもらったことがあります。「無理です」と断りました。僕はピアノは弾けても、音楽の知識はない。ほかにも、クイズ番組とか、コメンテーターとか……。学びの蓄積がない、自信がないから、断った仕事がたくさんあります。

 17年に障害を公表して以来、発達障害の支援団体に呼ばれて講演したり、障害について考えるテレビの特番に出演したり、活躍の場を広げている。本業では、東京シティ・バレエ団とのコラボレーションで、バレエの名作「白鳥の湖」や「ジゼル」を江戸時代に置き換えた創作落語「落語バレエ」にも挑戦し、話題を呼んだ。

── 障害が分かって、仕事に変化はありましたか。

花緑 僕の20代の頃の高座しか知らない人に、よく「変わったな」と言われます。告白したことで、萎縮していた部分が解放された、自分自身を出せるようになった、ということでしょうか。

── お話を聞いていると、発達障害という印象は受けません。

花緑 よく、「いまどんな困難があるか」と聞かれますが、ないんですよ。克服しちゃってるから。

家中にメモを置いて

台本で、分からなくなりそうな文字にはルビを振る(本人提供)
台本で、分からなくなりそうな文字にはルビを振る(本人提供)

── どうやって?

花緑 例えば忘れ物。独演会で使う「(演目などを記した)めくり」は僕が持っていくんですね。昔は、自分の分、弟子の分……、それを全部忘れる、なんてこともありました。出囃子(でばやし)を録音したCDを忘れる。出張で、着物2枚で羽織がないならまだいいですけど、羽織が2枚で着物がないというのは最悪です(笑)。

 だから夜寝る前に全部整える。家でも、メモを取る、家中の目立つところにメモを置いておく、というのを癖にしています。

落語家・柳家花緑師匠
落語家・柳家花緑師匠

── 気が張って疲れてしまいそうです。

花緑 それも解決法があるんですよ。2年前、静岡県御殿場市に家を建てました。都内の実家近くの賃貸マンションとの2拠点生活です。御殿場の家では好きなことだけしてのんびり。仕事のことを全て忘れて完全にオフにする。

 ただ家にいるだけで楽しくて、例えば草むしりを、これも過剰集中でずーっとやっている。お隣の奥さんが「もう、やめれば」って心配するぐらい(笑)。

── 年を重ねて、障害との付き合い方が分かってきたのですね。

花緑 疲れている時ほど際限なくしゃべってしまうので、ビタミン剤を飲んで脳の疲れを軽減させる。本も、3ページ読んで集中できなくなったら、違う本を3ページ読む。これも工夫です。ここまでくるのに時間はかかりましたが、自分の「トリセツ」を得れば、障害は怖くなくなります。

「落語バレエ」に挑戦

── 花緑師匠には「落語」がありました。でも、みんなが特技を見つけられるわけじゃない。社会の側には、何が求められるのでしょう。

花緑 今は障害がある子でもスマホやタブレットを使って、学校の授業である程度は同じようにできるようになっています。でも、向かう先が健常者で、健常者ができることをできるようにしよう、というのでは僕たちは救われません。例えば学校では、道徳的なことだけはちゃんと教えるけれど、あとは算数しかやらない、国語しかやらない、絵だけ描いている、というのでもいい、という世の中にしないと。

 重度の障害の場合はサポートも必要です。一日に昼寝を数時間しないと倒れてしまう人もいる。発達障害の人のために仮眠室を作ったり、他人を気にせずに済むように壁を高くして間仕切りを作ったりしている会社もあります。そうしたら業績が上がって、そこの社長さんは「発達障害の人をどんどん採用したい」と言うわけですよ。

── 間もなく50歳。空前の落語ブームとも言われますが、動画投稿サイト「ユーチューブ」などで落語に限らずさまざまなものが無料で見られるようになって、エンターテインメント業界は時代の転換期を迎えています。

花緑 無料動画が人気なら、それに負けないように、違う価値を提供していかなくちゃいけない。「落語バレエ」はその一つです。バレエファンは格調高いバレエを見てはいるけれど、ストーリーの詳細はよく分からない。落語ファンは本物のバレエなんて見たことがない。両方がクロスしてそれぞれ新しいファンを獲得できたら、というので始めた取り組みです。

 落語家は、「水に合わせて」しゃべるのが仕事。時代に合わせてしゃべることができる人だけが生き残るんです。


 ●プロフィール●

柳家花緑(やなぎや・かろく)

 1971年東京都生まれ。本名・小林九。中学卒業後、祖父の柳家小さんに入門(前座名「九太郎」)。89年に二ツ目昇進、「小緑」と改名。94年に戦後最年少の22歳で真打ちに昇進し、初代柳家花緑となる。古典落語をベースに、劇作家などによる新作落語にも積極的に取り組む。


「問答有用」は今回で終了し、次号からは「情熱人」が始まります

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