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発達障害人材の活用が企業競争力を左右する 「2.3兆円の経済損失」 を生み出す無理解・無関心の正体

自閉症であることを公表したイーロン・マスク氏 Bloomberg
自閉症であることを公表したイーロン・マスク氏 Bloomberg

 自他共に気付きにくく、「見えない障害」と呼ばれることもある発達障害。社会的なコミュニケーションに難渋することが多く、特に大人の場合は就職難、職場での孤立などに直面し、うつ病やひきこもりになってしまう例も少なくない。2018年の厚生労働省の発表では、医師から発達障害と診断された人の数は推計48万人超。野村総合研究所の調査で、発達障害のある人々の社会的困難に伴う経済的損失は2.3兆円にも及ぶことが、このほど明らかになった。

40歳で発達障害であることを公表して僕が「得たもの」 落語家・柳家花緑

医療費や障害者年金等の「直接費用」が0.6兆円、定収入や非就業などの「間接費用」が1.7兆円

 発達障害は、自閉症スペクトラム(ASD)、注意欠如・多動性障害(ADHD)及び学習障害(LD)等に代表される脳機能の障害だ。野村総合研究所では、そのうち特にASD、ADHDと診断された経験のある人々の就業状況等の調査を行い、発達障害に伴う日本の経済的損失を試算した。

 経済損失の算定に統一された方法はないため、わが国におけるうつ病等の経済損失の算定実績を参考にした。まず、発達障害のためにかかる医療費、社会サービス費(就労訓練、障害者年金等)などを「直接費用」、発達障害に伴う低収入、非就業、休業、生産性低下などを「間接費用」と定義。その合計を算出した。算定のための情報は、2021年2月に当研究所が実施した発達障害人材の現状に関するアンケート調査を中心に、政府等による各種統計や学術論文、有識者へのインタビュー等により収集した。

 この結果、直接費用が0.6兆円、間接費用が1.7兆円、つまり経済的損失は2.3兆円という試算結果が出たのである。

 これは、2010年に厚生労働省が発表した自殺とうつ病による経済損失2.7兆円に匹敵する規模である。

 この調査はあくまでASD、ADHDと診断された人たちを対象としている。実際には、その他の発達障害や、発達障害でありながらそう診断されていない状態にある人が多く存在すると言われ、そのことを考慮すると、経済損失はより大きい可能性がある。

 実際、今回の調査と同時に実施したADHDに関する潜在患者調査では、既に診断されている患者の実に2.5倍の潜在患者が存在する可能性が示唆された。

 発達障害のある人々が社会で生産性高く活躍できるようにすることは、今後、人口減少に伴う労働力不足が危惧される日本にとって、無視できない課題の一つと考えられる。

人事担当者以外は無関心

 ここで、なぜ我々がこのような試算を出したのか、その経緯を紹介したい。

 我々は経営コンサルタントとして様々な企業とコミュニケーションをとっている。その中で、一部の人事担当者から、メンタルヘルスに伴う就労難の背景に、相当な割合で発達障害が潜在している可能性を指摘する声があった。今後、企業として一定の予算確保のもと、何らかの課題解決の取り組みを行うためには、経営トップや社会全体が発達障害に関する社会的課題の認知を広げることが重要であるとの意見も耳にした。

 その一方で、企業全体で見ると、発達障害は社会的課題として十分認識されていないように感じられた。人事担当など一部ではある程度認知されていても、経営者を含むその他の人々にとっては発達障害そのものが馴染みのないテーマであることから、従業員の働き方やメンタルヘルスに関して社会的に注目度が高まっているにも関わらず、企業が対応すべき課題とはとらえられていない印象を受けた。

 社会的な損失を数値化することは、社会課題の認知を広げる上で重要である。社会全体に対するインパクトを示すことで、「一部の人たちの困りごと」と思われがちな潜在的な課題を、社会全体の課題として顕在化させる効果がある。過去には国内のうつ病や自殺に対する経済損失額が公表され、うつ病や自殺に関する問題意識が醸成されてきた経緯もある。

就業は「障害者雇用枠」ではなく「一般雇用枠」がほとんど

 日本では、多くの企業に「障害者雇用枠」が設けられており、発達障害を含め障害者を受け入る体制が整えられている。しかし、今回の我々の調査では、ASDと診断されている人の6割、ADHDと診断されている人の8割が、障害者雇用枠ではなく、一般雇用枠で就業していることが分かった。

 調査によれば、一般雇用枠で就労しているケースで、所属企業に発達障害に関するサポート制度があるのはわずか7%だった。所属企業にサポート制度がある場合には、発達障害の人も一般平均以上の生産性を発揮できている。一方で、所属企業に十分なサポートがないケースでは、発達障害のある人の労働生産性は一般平均の8割程度しか発揮されていなかった。

 また、発達障害のある人のうち、3割程度は職場の上司や同僚に自身が発達障害である旨を伝えており、こういったケースでは、発達障害の人も一般平均と同等程度の労働生産性を発揮できていることが分かった。一方、人事担当者や産業医のみにしか伝えていないケースや、誰にも伝えていないケースでは、一般平均の8割程度の労働生産性しか発揮されていなかった。

 各データから明らかになったのは、発達障害のある人が企業で生産性高く活躍するには、一般雇用の場において、同僚や上司の理解、企業のサポートを得ることが重要であるという点だ。しかし同時に、我々の調査結果は、そのような望ましい状態に置かれているのはごく一部であることも示唆している。

半数は「発達障害であることを周囲に伝えるのに抵抗がある」

 こうした状況を改善するうえでもっとも重要なのは、社会的な偏見の是正である。

 当社の調査では、発達障害のある人のうち、約半数が「発達障害であることを周囲に伝えるのに抵抗がある」としており、その理由の多くは、周囲の無理解や偏見への恐怖であった。社会的偏見を恐れるがために、発達障害であることを周囲に伝えられず、必要な配慮を受けるきっかけを得られずにいると考えられる。

一般雇用枠でキャリアを積むこと

 もう一つは、企業における一般雇用の中でのサポートである。

 前述のように、企業の一般雇用枠で発達障害に対するサポートのある企業は極めて少ない。しかし、発達障害のある人の多くは、支援体制のある障害者雇用枠ではなく、一般雇用枠で働いていることが分かっている。それはなぜか。

 一般に企業の障害者雇用枠では、身体障害や知覚障害、知的障害のある人まで幅広く支援・雇用する体制がある。一方、一般雇用に比べて、キャリアの発展性や職域が限定されている場合も少なくない。

 実際、大手企業の障害者雇用枠の一部では、特例子会社といった事業本体とは分離された子会社で雇用され、印刷や郵送物の管理や清掃など、比較的簡易な職務能力が求められる範囲で雇用されている場合も多い。障害者雇用枠で採用された場合、そういった枠組みの中でキャリアを歩むことになる。

 発達障害のある人の中には、コミュニケーションに難はありつつも自他ともに健常者との違いが非常に分かりにくいケースや、一定の傾向はありつつも発達障害か否かが明らかでないグレーゾーンと呼ばれるケースも多く、障害者雇用枠のような手厚い支援まで求めているとは限らない。また、自身に健常者と同様のキャリアを目指す人も多いだろう。これに前述のような偏見の問題も作用して、ある程度の困難が伴うと分かっていても一般雇用枠を志向する場合が多いのではないだろうか。

 つまり、発達障害のある人に必要なのは、従来の障害者雇用の枠組みではなく、一般雇用枠における、発達障害を含む多様な人材に対するマネジメントスキルの蓄積や、個々に応じたサポートができるような環境であろう。

イーロン・マスク氏の自閉症公開

 近年、特に海外ではこのような課題の解決につながり得る二つの動きが広がっている。

 一つ目は、世界的著名人が発達障害であることを公表し始めたことだ。2021年5月、米電気自動車(EV)大手テスラの最高経営責任者(CEO)、イーロン・マスク氏が米国のTV番組で自身が自閉症であったことを公表した。 同氏が発達障害であることをポジティブに受け入れ、公表した姿勢は多くの人々の共感を呼んだ。最近では他にも著名な俳優などが自身の発達障害を公表している例が多くなっている。こういった活動は、発達障害に対する偏見を是正し、当事者が支援に手を伸ばす心理的ハードルを下げることが期待できる。

 実際、米国ニュースサイトのTMZによれば、マスク氏の発言の後、発達障害に関する支援団体であるアスペルガー症候群/自閉症スペクトラムネットワーク(AANE)への問い合わせが急増したという。

40歳で発達障害であることを公表して僕が「得たもの」 落語家・柳家花緑

マイクロソフト、JPモルガン、フォード……広がる発達障害の積極採用

 二つ目は、世界をリードする大企業が、発達障害のある人を積極的に採用するようになりつつあることである。このような動きはSAP、マイクロソフト等のIT企業をはじめ、JPモルガン・チェース・アンド・カンパニー、フォード・モーター・カンパニー、プロクター・アンド・ギャンブル等の他業種にも広がっている。

アメリカではマイクロソフトなど大企業が発達障害者を積極採用している Bloomberg
アメリカではマイクロソフトなど大企業が発達障害者を積極採用している Bloomberg

 特に注目したいのは、その職域である。これらの企業では、発達障害のある人々の活躍の場が、グローバルで獲得競争が激化しているITエンジニアを中心に、財務、セールス、マーケティング、人事など従来の障害者雇用の枠を超えた幅広い職域へと広がっている。こうした取り組みが継続すれば、発達障害のある人へのサポートが、障害者雇用枠だけでなく、一般的な部門でのマネジメントスキルとして広がっていくと期待できる。

 今後、少子高齢化が進む日本においても、こうした海外の動向を取り込んでいくことが重要だろう。

(野村総合研究所・高田篤史)

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