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週刊エコノミスト Online

ロシア演劇にも「思想統制」の影 プーチン政権下で奪われる芸術の自由

演劇で有名なモスクワのフォメンコ工房(劇場) 筆者提供
演劇で有名なモスクワのフォメンコ工房(劇場) 筆者提供

 プーチン大統領はロシア演劇の表現にも影響を与え、評論の力を弱体化させている。ロシア演劇の専門家である上智大学・村田真一教授にロシアの演劇界の変化を聞いた。(聞き手=桑子かつ代・編集部)

―― ロシアの演劇は高い人気と長い歴史を持ち、日本の新劇の舞台となった築地小劇場の誕生にも大きな影響を与えた。ロシア国内で演劇はどのような位置付けか。

村田 昔からメディアの役割を担ってもいる。ドラマ劇場の誕生以前から、大道芸人や旅回りの役者など、時の権力を批判するテーマで民衆演劇として発展してきた。19世紀末から、ヨーロッパの同時代の戯曲を積極的にロシアに持ち込んだり、現代性に富むアントン・チェーホフ(1860~1904年)の戯曲も数多く上演されたりした。

 20世紀初頭、モスクワ芸術座の創設者の一人のコンスタンチン・スタニスラフスキー(1863~1938年)は、スタニスラフスキー・システムという現在の演技手法の基礎を作り、世界各国に浸透している。また、前衛的な実験演劇を行なったメイエルホリド(1874~1941年)のように、スターリンの弾圧を受けた演劇人も多かった。

―― ロシアでは演劇も長年、検閲の対象だった。

村田 帝政ロシア時代には、皇帝を批判してはならず、ロシア正教をたたえなければならなかった。ロシアの帝国主義を進めるためには、このような規制が必要だった。その後、ロシア革命では真逆の考え方の検閲に変わった。芸術家には、ソ連をたたえて宗教性を排除し、政権寄りの政治的立場を明確に示すことが求められた。

 この検閲は1980年代後半に当時のゴルバチョフ書記長(後の大統領)が進めたペレストロイカ(立て直し)で、表向きはなくなったとされる。しかし、だからと言って超法規的な措置が採れる可能性を排除したとは言えないだろう。逆に言うと、当局にはまだ何らかの規制ができる余地がある。

―― 21世紀以降、最近の状況は。

村田 サンクトペテルブルクの演劇人が、ここ1~2年くらい、劇場のロビーに行くとスターリンの肖像が掛かっていると話していた。耳を疑ったが、スターリンの過去の政策を見直して評価する記事も写真入りで最近読んだ。陰の検閲についても、何が対象になるかわからないので怖いという声を聞く。

ソ連時代の批判を嫌がる風潮

―― ロシアではウクライナ侵攻後、言論統制が厳しくなっている。

村田 プーチン政権下で進んでいるのは、言論統制というより思想統制に近い。ウクライナ侵攻後の4月に、ソ連崩壊後の新生ロシアで評価が一転した作家、ソルジェニーツィンを再び批判する記事を目にした。ソルジェニーツィンが世界で有名になりノーベル賞を受賞したのは、単に海外で作品が翻訳されて持ち上げられただけだという論調だった。

 また、ここ数年、ロシアの学会報告などでソ連時代を批判する内容を盛り込むと嫌な顔をされるようになったが、これはソ連崩壊直後にはありえなかった。

―― 歴史の見方が変わってきたのか。

村田 記憶と歴史を消すような動きは、現政権になって強まったのではないか。記憶が消されるのは怖い。記憶があるからこそ文化が継承される。海外でのロシア文学の翻訳も大事な仕事だ。今後ソルジェニーツィンは海外でしか読めなくなるかもしれない。

モスクワ近郊のアパートの外壁に描かれたプーチン大統領 Bloomberg
モスクワ近郊のアパートの外壁に描かれたプーチン大統領 Bloomberg

専制政治の狂気描いたブルガーコフが人気

―― ここ数年くらいで、ロシアで人気のある舞台作品は何か。

村田 ミハイル・ブルガーコフ(1891~40年)の代表作「巨匠とマルガリータ」は専制政治の狂気を暴き出す小説でもあるが、それ以外にも、ソ連時代の初期に一時的に導入された市場経済をめぐる怪しげな人々の生態に焦点を当てた戯曲「ゾーイカのアパート」(邦訳「ゾーヤ・ぺーリツのアパート」)なども頻繁に上演されてきた。

 ポーランド在住の劇作家イワン・ヴィルィパーエフも「陽の境界線」「酔っ払い」も、コミュニケーション不全の問題や真に生きる意味を深く問う作品として、サンクトペテルブルクのボリショイ・ドラマ劇場などで上演されている。

 《ブルガーコフはウクライナ生まれのロシア語作家。ソ連時代には風刺性に富んだその作品の多くが発禁処分となり、多くの作品が生前に発表されなかった。その後、再評価が進み、20世紀を代表するロシア文学作家となっている。

 日露演劇会議事務局によると、ヴィルィパーエフはすべての上演料をウクライナ人支援へ回すと発表した。戯曲を上演している劇場は、モスクワ芸術座、ボリショイ・ドラマ劇場などロシア国内で数多い。ヴィルィパーエフは、ロシアがウクライナ国民に罪深い戦争を引き起こしていると非難している》

―― 作品テーマに影響はあるか。

村田 コロナ禍の影響などでここしばらくロシアに芝居を観に行っていないが、聞くところでは影響がある。たとえば、歴史物をテーマにする演劇が、内容的には政権に都合の良いように解釈されているところがあるという。多様な舞台が見られなくなっているのではないか。

 ソ連崩壊後の90年代、ロシアを代表する戯曲の一つであり、オペラにもなっているプーシキンの「ボリス・ゴドノフ」は皇帝の個人的な葛藤と捉えた面白い舞台が話題を呼んだ。今は、歴史物であれば、強いリーダー像を全面に押し出さないと舞台には乗らないかもしれない。ソ連時代の有名な映画監督のセルゲイ・エイゼンシュテイン(1898~1948年)の傑作映画「イワン雷帝」も、途中でイワン雷帝が「この戦争は正しいのだろうか」ともらす台詞があるため、完全版が観られなくなるかもしれない。

弱体化する演劇評論

―― 表現しにくくなっている。

村田 演劇人は大きなテーマを取りあげにくくなっている。ニュースでも、料理や健康維持の話題がトップになったり、扱い方がウクライナ情勢より大きかったりすることもある。演劇人、劇場関係者、作家、評論家はみな、芸術の価値を信じ、新しい表現形式を求めてきたが、今は評論の力があまり強くない。演劇雑誌の論調は弱まり、発行回数も減った。

 戯曲や舞台作品でプーチン大統領の政策をダイレクトに批判する内容は見当たらない。歴史物を使って間接的に批判するやり方はあるが、そのときに古典作品は強さを発揮するだろう。ロシアの演劇や文学は、伝統的に権威の格下げを目指してきたものだ。

 今後、世界は長期的視野に立って、ロシアやウクライナの民衆に支えられた人類史的価値を持つ豊かな文化をバックアップしていく必要がある。

(村田真一・上智大学外国語学部教授)

村田真一氏
村田真一氏

(略歴)むらた しんいち 1959年生まれ。83年東京外国語大学外国語学部ロシヤ語学科卒業、同大学院スラヴ系言語修士課程修了。青山学院大学国際政治経済学部助教授などを経て、04年から上智大学外国語学部教授。17~20年度同学部長。日露演劇会議常任理事、ウクライナ国立ポルタワ教育大学及び古典私立大学名誉教授、国際スラヴィスト会議日本代表委員。専門はロシア・スラヴの演劇と文学。

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