国際・政治

ロシア正教会トップも戦争支持 ソ連時代はKGBと関係か=井上まどか

レーニンの生地、ウリヤノフスクのスタジアムの隣の建物の壁面に、キリル総主教とプーチン大統領の肖像が描かれていた(2017 年 7 月)Bloomberg
レーニンの生地、ウリヤノフスクのスタジアムの隣の建物の壁面に、キリル総主教とプーチン大統領の肖像が描かれていた(2017 年 7 月)Bloomberg

 ロシアとウクライナの戦争が長期化する中、西側諸国から停戦に向けた対ロシア経済制裁が続き、プーチン大統領や政府関係者の家族なども海外資産が凍結されている。英国政府は6月16日、ロシアの宗教界の重鎮であるロシア正教会のキリル総主教を制裁対象に追加した。背景にはキリル総主教が軍事侵攻を容認するだけでなく、強く支持していることがある。

 キリル総主教は軍事侵攻が始まってまもない3月、ロシア大統領直属の治安部隊であるロシア国家親衛隊のトップへ、聖母のイコン(イエスや聖人の平面画)を贈り、その絵が「祖国を防衛する国家親衛隊の若き戦士を鼓舞するよう」祈った。贈られたゾロトフ総司令官は「すみやかな勝利を信じる」と述べた。

高まる宗教意識

 ロシアの世論調査によると、1991年のソ連崩壊後、ロシア国民が無宗教と答える割合は減り、正教会の信徒と答える割合が増加している。とりわけ注目されるのは、プーチン政権下で正教会の信徒と答える割合が増えていることだ。90年代後半には5割程度にとどまっていたが、10年代には7割近くまで増加した。また、ソ連時代に国有化されていた土地・建物の正教会への返還が進み、全土で、教会の修復・新築がなされ、数も増加している。

 プーチン政権は「祖国防衛」を軍事侵攻の目的のひとつとしている。ロシアに限らず、世界には従軍チャプレンという、精神的・霊的に軍人を支援する聖職者がいるため、3月のキリル総主教の発言も活動の一環とみなすことも可能かもしれない。しかし、当然ながら世界の宗教界はロシアのこうした対応を批判している。

「兄弟殺し」仕掛けたのは西欧

 全米教会協議会理事長など、米国を含め世界のキリスト教指導者がキリル総主教に停戦への努力を求める書簡を送っているが、キリル総主教は聞く耳を持たない。ロシア人とウクライナ人は祖が同じスラブ系の兄弟民族であるのに、「兄弟殺し」を仕掛けてきたのは西欧であり、ロシアを敵とみなす西欧は自らロシアと戦おうとせず、ウクライナを道具として用いたと説明している。

 さらに、今回のウクライナとロシアの戦争は、性的少数派のLGBTプライドパレード(差別や偏見をなくそうというイベント)の開催を認める国々、つまり西欧との一種の哲学的な戦いと述べている。ロシアでは13年に成立した「同性愛宣伝禁止法」を基に、同性愛の公言などが罰せられる。こうした発言からは軍事侵攻が現実にもたらす問題から目をそむけようとする姿勢が見受けられる。キリル総主教は「西欧の『ロシア嫌悪(ルッソフォビア)』が問題の根幹にある」という発想だ。「ロシア嫌悪」あるいは「反ロシア」が問題の根幹にあるとする発想はプーチン大統領の発言にもみられる。

KGB諜報活動に利用

 プーチン大統領とキリル総主教はともにサンクトペテルブルク(当時レニングラード)で生まれ育ったことから、特別のつながりがあるのではないかと噂されている。キリル総主教はソ連時代にKGBと関わりもあったという。英紙タイムズは09年にキリル総主教が「ミハイロフ」のコードネームを持つエージェント(諜報員)だったのではないかと報道している。推測の域はでないとはいえ、コードネームを持っていたとしてもおかしくない。

 キリル総主教は89年から09年までロシア正教会の渉外局長を務めていた。対外的な部署に所属する聖職者とKGBとの関わりは、キリル総主教に限らず、前総主教のアレクシー2世(90~08年に総主教職)も同様である。

 ロシア正教会はソ連時代の61年に世界教会協議会(WCC)に加盟している。WCCはプロテスタント、カトリック、正教会というようなキリスト教の諸宗派が関わる組織である。KGBの機密文書の研究によれば、海外を訪問する聖職者はKGBの監視下にあり、場合によってはKGBの諜報活動に利用されることもあったという。

 また、ソ連共産党は国際政治に宗教関係者を利用することもあった。東西冷戦下、ソ連の平和攻勢の一環で、アジア諸宗教の代表者を招集して国際会議を開催することもあった。こうした会議に正教会の聖職者が関与していたのである。

拘束される聖職者

 キリル総主教の政権寄りの対応は必ずしもロシア正教会の総意とは言えない。2月24日のロシア軍事侵攻後まもなく、ロシア正教会の聖職者有志が即時停戦と平和をもとめる公開書簡を発表した。署名人数は当初26人だったが、3月2日には233人に増えた。ロシア正教会の聖職者が説教の内容が基で逮捕される例も報告されている。

 ウクライナの宗教は正教会、カトリック、イスラームなど多様である。そのなかで、今日のウクライナの正教会は歴史的経緯から東方正教会の筆頭権威と目されるコンスタンティノープル総主教より19年に設立を承認されている。それとは別にロシア正教会系のウクライナ正教会がある。後者の正教会のトップは、長らく「ロシア寄り」を堅持してきたとされる。

 しかし、ロシアの軍事侵攻によって状況は変わった。ロシア正教会系のウクライナ正教会のトップであるオヌフリ首座主教は軍事侵攻を強く非難し、「ウクライナのために、私たちの軍のため、私たちの人びとのため」に強く祈ろうと呼びかけた。

 カトリックや正教会の祈りでは、教会のトップの名前をあげて祈るという行為が行われる。カトリックであれば教皇の名前、正教会であればその教会にとってトップにあたる存在に対してである。しかし、軍事侵攻後にはウクライナの各地のロシア正教会系の教会で、祈りのなかでキリル総主教のために祈るということをしなくなった教会が多数あるとされる。リトアニアやエストニアにあるロシア正教会系の教区でも同様の現象が生じているという。各国で正教会の地盤が揺るがされる事態が生じているのである。

(井上まどか・清泉女子大学准教授)

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