国際・政治

プーチン大統領の「核の脅し」は「ハッタリ」か「本気」か 丸山浩行

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 「ハッタリではない」というプーチン大統領の「核の脅し」に、世界中が悲鳴をあげている。ウクライナ東部・南部4州やクリミア半島は「永遠のロシアの領土」となったと宣言し、その防衛のためなら核の使用を躊躇しない、と世界中を脅しているからだ。プーチン大統領の核の脅しは、「ハッタリ」なのか、それとも、「本気」なのか。その実相に迫ってみよう。

窮地の中で悪あがき

 真実はひとつ。ハッタリでも本気でもなく、NATO(北大西洋条約機構)の「核抑止力」に抑え込まれ、「核を使いたくても使えない」窮地に陥ったプーチン大統領の「悪あがき」なのだ。

 「抑止とは、敵の心中に『攻撃恐怖症』をつくりだす術策(アート)である」(米戦略軍『大国間競争時代の核抑止の手引き』)というのが、NATO核抑止理論の基本原理である。ロシア軍のウクライナ軍事進攻(2月24日)から8カ月たったが、この間、NATOはプーチン大統領の心中に「核攻撃恐怖症」をつくりだす心理作戦を連発し、「核を使いたくても使えない窮地に追い込む抑止のアート」に心血を注いできた。

 その第1弾が、マドリード首脳会議(6月30日)で採択した今後10年間のNATOの行動指針となる「新戦略概念2022」である。それは「(ロシア)の核使用は戦争の性格を根本的に変える」と指摘し、プーチン大統領が核を使えば、NATOは「敵国(ロシア)には受忍不能で、敵国(ロシア)が手中に望む戦果(ベネフィット)をはるかに上回る破壊(コスト)を強要する能力と決意を持っている」とすごんで見せた。つまり、ロシアの核使用には、「倍返しの核攻撃」で反撃すると大見えを切って、プーチン大統領の恐怖心をあおったのである。

 第2弾は、米国、NATO、EU(欧州連合)の高官たちが、プーチン大統領の心中に一斉に放った「心理的な攻撃」だ。つまり、プーチン大統領が核兵器を使えば、NATOが「倍返しの核報復」を行い、ロシアは「破滅的な結果」(サリバン米大統領補佐官)や「前例のない結果」(匿名のNATO高官)を自らまねき、「ロシア軍は核戦争に勝てず」(ストルテンベルグNATO事務総長)、「ロシア軍は全滅するだろう」(ボレルEU外相)と、心理的に脅したのである。

 第3の心理攻撃が、NATOの核空爆演習「ステッドファスト・ヌーン(不動の真昼)」(10月17日~30日)だ。これは、加盟14カ国のB52爆撃機、F-35ステレス戦闘機など空軍機約60機が参加し、DPS誘導装置付きの核巡航ミサイルや核爆弾を模擬発射して攻撃目標にピンポイントに命中、破壊する核爆撃演習である。プーチン大統領が核兵器を使えば、精密な「倍返しの核報復爆撃」によって、ロシア軍を全滅させる強靭な意志と能力を持っているというメッセージを、NATOはプーチン大統領に発信したのだ。

 むろん、NATOの強靭な核抑止力は、プーチン大統領の心中に働きかけてストップをかける「心理的な抑止作用」に終始するものではない。ロシアの核攻撃を「倍返し核攻撃」の力で抑止し、断念させる「物理的な抑止作用」でもある。(以下の記事参照:「戦う核同盟」へ脱皮したNATO ロシア・中国に「倍返し」の戦略

 このNATOの抑止力は、額面通りに発揮できれば、プーチン大統領の核暴走にストップをかけるための十分なパワーをもっている。とはいえ、自身は独自の核戦力やその使用を決定する(NATO大統領のような)最高権限機構をもっていないから、NATOはその核抑止力の運用を同盟国で最大・最強の核保有国である米国と米戦略軍の核作戦(「OPLAN8010-12」)プランに委ねているのである。

核戦争危機の終わらせ方

 世界中が、あわや核ミサイル戦争かと固唾をのんだ米ソ・米ロ間の軍事対決は、冷戦時代に、①「キューバ危機」(1962年10~11月)と、②「欧州中距離核戦力(INF)配備競争」(79~87年)の2回あった。今度の「ウクライナ核危機」は3度目だ。

 過去2回の核戦争危機は、核ミサイル発射寸前まで緊迫化し、「核戦争による死の恐怖」で世界中を凍りつかせたが、それぞれ、ケネディ大統領とフルシチョフ第1書記、レーガン大統領とゴルバチョフ書記長という、米ソの最高指導者の決断によって、辛うじて妥当な「終わり方」(出口)を発見し、危機を沈静化することができた。

 キューバ危機では、航空偵察によって、キューバでのミサイル基地建設を察知したケネディ大統領が、重大な挑発行動と断定し、ただちに海上封鎖を発動し、ミサイル運搬のソ連船の臨検、拿捕、撃沈を命じた。キューバ駐留ソ連軍司令官は、その場合、すでに配備済みの中距離弾道弾をワシントンDCやニューヨークに発射する覚悟だった、といわれている。

 こうして、キューバ危機は一触即発の危機を迎えたが、米ソは「危機の終わり方」を見つけるべく懸命の外交交渉を続けた。それが実り、62年10月28日、フルシチョフがモスクワ放送で「米国のキューバ武力侵攻断念を条件に、キューバにおけるソ連のミサイル基地全面撤去を決定」と公表し、世界中を恐怖に陥れた核ミサイル戦争寸前の「キューバ危機」は終わったのである。

 その後、米ソ首脳間には、直接電話回線(ホットライン)が開設され、世界核戦争防止と勢力圏の相互尊重の利益を共有した米ソは、60年代末~70年代末のおよそ10年間におよぶ対話と協調の「米ソデタント(緊張緩和)時代」を享受することになった。だが、フルシチョフはこの「核の火遊び」と、その結果として妥協を強いられた外交的な失政をきっかけに失脚の憂き目にあった。

ウクライナ軍の反撃はロシアが思う以上に強力だった Bloomberg
ウクライナ軍の反撃はロシアが思う以上に強力だった Bloomberg

欧州の核ミサイル

 世界中が恐怖に固まった2回目の「欧州中距離核戦力(INF)配備危機」は、ソ連が新鋭中距離核弾道ミサイルSS-20を大量配備して、ベルリン、パリ、ローマ、ロンドンを一挙に破壊する核戦力を整え、これを座視、無為に終始したジョンソン、カーター米両大統領の誤算からスタートした。

 しかし、SS-20の脅威に対して、「倍返し」はおろか「等倍返し」の手段をもたない、最前線国西ドイツのシュミット首相の提案で、NATOが、①米最新鋭中距離弾道弾パーシングⅡ108基、地上発射巡航ミサイル464基を西ドイツなどNATO諸国に配備、②米ソは「中距離核戦力(INF)全廃条約」締結交渉を開始し、ヨーロッパ大陸からSS-20やパーシングⅡなどの核兵器を撤去する、の2点からなる「二重決定」(79年12月12日)を採択した。

 実際に米国のパーシングⅡなどが西ドイツなどに配備されたのは83年からだが、これにより、NATOとソ連の間で一触即発の状態となった。この危機にレーガン大統領とゴルバチョフ書記長は、87年12月調印の「中距離核戦力(INF)全廃条約」によって、妥当な「危機の終わり方」を発見することになった。つまり、米ソはSS-20とパーシングⅡなどを撤去、全廃することで、この2度目の核危機を雲散霧消させたのだ。

 しかし、プーチン大統領のウクライナ併合の大誤算からはじまった今回の「ウクライナ核危機」は、出口がまったくみえない泥沼状況を呈している。その理由は、プーチン大統領が、フルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフなどとは違って、「核ミサイル危機」の火元となった自分の大誤算を認めて清算し、火付けの張本人から、終わり方を探る火消人に変身しようという意欲を微塵も見せないからである。プーチン大統領にとっては、ウクライナ危機を招いたのは自分ではなくて、「ネオ・ナチスト」のゼレンスキー・ウクライナ大統領、NATOやEUの指導者、バイデン米大統領たちであり、妥当な「終わり方」を発見する熟慮や対話努力は一切拒んでいる。

 とはいえ、NATOの強力な抑止力に抑え込まれたプーチン大統領は、いま、その真意を見透かされて、核使用を事実上断念せざるをえない状況におかれている。「ウクライナでの核兵器の使用は、軍事的にも、政治的にも意味がない」(「ヴァルダイ国際討論クラブ」での発言)と弱気が垣間見える。中央アジア諸国、インド、中国などの伝統的な親露諸国も次第に水面下で離反しつつある。ウクライナ対ロシアの対決図は、しだいに、ウクライナ・NATO・EU・国連対ロシア1国の対立図に変わっている。

プーチン大統領は大ロシアの復活を望んでいる Bloomberg
プーチン大統領は大ロシアの復活を望んでいる Bloomberg

恐怖をあおる手法

 しかし、そうならば、なぜ、依然として「核の口先脅し」の悪あがきを連発しているのだろうか。その理由はこのように考えられる。プーチン大統領は、ウクライナ戦争の「終わり方」をそろそろ考えざるをえない苦境を認知しはじめており、その「終わり方」を少しでも有利に運ぶために、「自暴自棄に陥ったプーチンは何をするか分からない」というイメージを世界中に発信、拡散しようとしているのだ。

 短期間でウクライナ全土を制圧、占領するという当初の目論見は外れ、8カ月をへた今日、ウクライナ軍の反撃は激烈を増して、プーチン大統領が「ロシアの歴史的な土地」と考える「新ロシア(ノヴォロシア)」(ウクライナ東部・南部4州やクリミア半島)の奪還すら想定される。このような敗色濃厚な状況を挽回して、4州のロシア併合容認という有利な「終わり方」を勝ち取るには、世界核戦争の恐怖でパニックになった国際世論の圧力によってウクライナを交渉の座につけるしかない。

 だが、こうした小細工はもはや通用しないだろう。どんな小細工や悪あがきを弄しても、中国や北朝鮮を除く世界中が「プーチン大統領は核を使うことができない」という認識を共有しはじめている。どうやら、プーチン大統領も、フルシチョフと同様に、「核の暴走」や「核の火遊び」の惨めな終焉と失脚という運命を免れることはできないようである。

(丸山浩行・国際問題評論家)

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