経済・企業検証

米金融政策/上 バーンズの失敗に学ぶパウエルの戦い 小野亮

歴史的なインフレを退治できるか(パウエルFRB議長) Bloomberg
歴史的なインフレを退治できるか(パウエルFRB議長) Bloomberg

 雇用を優先するあまり、コントロール不能なインフレを引き起こす──。米国は過去の失敗の歴史に学び、インフレ退治に猛進するが、果たして成功するか。

>>検証「米金融政策/下」は1月23日公開

 米連邦準備制度理事会(FRB)によるインフレ(物価上昇)との戦いは、2023年が正念場だ。

 インフレにはピークアウトの動きがみられることや、これまでの累積的な引き締めによって米国経済が景気後退に向かうとみられることから、金融市場ではこれまで以上に将来の政策転換(利下げ、ピボット)に高い関心が集まる。

 FRBが四半期ごとの経済見通しの公表をやめない限り、また、ソフトランディングの夢を諦めない限り、金融市場参加者の視線はドットチャート(政策金利見通し)に注がれ、利下げ時期やその幅を巡る思惑が交錯し続ける。22年終盤の「逆CPIショック」のように、インフレ圧力を示す経済指標の一部にでも良好な動きがあれば、将来の緩和期待が強く刺激されるはずだ。23年には、いずれ「利上げをやめて様子見に入る」というFRBの明確なメッセージも発せられよう。

 しかし、インフレ圧力が冷めやらぬうちに、金融市場が経済指標やFRBのメッセージを見誤り、政策転換を先取りすることで、金融コンディションが過度に緩和してしまえば、インフレ圧力が再燃する恐れがある。インフレとの戦いは、楽観的バイアスを持つ市場の期待との戦いでもある。

歴史的な人手不足

 23年に最も注目される経済指標は、インフレの基調的な動きを左右する賃金だ。22年11月、米ブルッキングス研究所で行った講演で、パウエルFRB議長は先行きのインフレ低下要因を指摘しながら、物価安定の回復にはまだ遠い道のりがあることを強調した。

 パウエル議長が指摘したインフレ低下要因は、二つある。まず、エネルギーやその他の輸入価格の下落と供給制約(ボトルネック)の緩和によって財(モノ)インフレの低下が見込めること。次に新規の賃貸契約で家賃の伸びが急低下していることから、継続契約分の賃料を含む物価指数上の家賃指数もいずれ低下が見込めることだ(図)。

 一方、財と家賃を除いたサービス部門のインフレ率は高止まりが懸念される。サービス部門のインフレは賃金の行方に左右される。パウエル議長によれば、インフレの基調を決める上で重要な労働市場では、歴史的な人手不足が解消されず、賃金の伸びは高すぎる。こうした需給不均衡が改善する兆しは、わずかしかない。

 インフレに対する強い警戒感を隠さないパウエル議長は、次の言葉で講演を締めくくった。

「歴史は早まった政策緩和に強く警告している。私たちは仕事が完了するまで、この路線を維持する」

「歴史」とは、高インフレ退治に成功したボルカー時代と、それ以前の15年間にわたる「金融政策の失敗の歴史」を指す。パウエル議長は、その歴史から得た教訓を胸に金融政策を運営していく。

雇用最優先のくびき

 インフレとの戦いを巡る失敗の歴史は、時代背景とその中で生まれた新たな知的潮流、経済学の変化と無縁ではない。

 1929年の世界恐慌と第二次世界大戦を経て、経済学の主流は、市場機能を重視し自由放任を是とする新古典派から、裁量的な財政・金融政策の有効性を主張するケインズ経済学へと劇的に変化した。

 第二次世界大戦後の米政権・議会も雇用の維持・創出を政府目標に掲げ、インフレ退治は二の次となった。60年代後半から70年代のFRBは、こうした雇用最優先というくびきから逃れられなかったのである。

 そうした混乱から30年以上たった2008年。リーマン・ショックを契機とする国際金融危機は、新自由主義の深刻な副作用を示した。仏経済学者ピケティが『21世紀の資本』(13年)を通じて「トップ1%」に富が集中するメカニズムが資本主義に内在していること、すなわち「経済成長によって格差は、いずれ解消される」のではなく「経済成長は格差を深刻化させる」という問題提起を行ったことで、人々の格差是正への関心は、それまでになく高まった。

 一方、FRBはコロナ禍前の史上最長の景気拡大が、深刻なインフレをもたらすことなく雇用機会を広げ、特に低所得者層にとって人生を変えるほどの利益をもたらしたことを見いだした。

 社会的潮流の変化や新たな知見は、20年8月に発表されたFRBの新しい金融政策の枠組みに反映された。FRBは、米金融政策の目的の一つである「最大雇用」を「広範かつ包摂的」概念として捉え直すとともに、持続的な低インフレ環境を前提として、インフレ率が悪化しない限り、低い失業率それ自体を問題視しないこととなった。インフレ予防のための引き締めは行わないという意味である。

 歴史は皮肉なものだ。新たな枠組み発表からわずか1年数カ月後、FRBは「インフレ退治が最優先」と方針転換を迫られる。「需要要因のインフレでなければ様子見」などとは言っていられなくなり、例をみないスピードでの利上げを迫られた。40年ぶりの高インフレへの対応に後れを取ったツケである。

中央銀行の苦悩

ボルカー元FRB議長のように「あきらめずに頑張ること」ができるか Bloomberg
ボルカー元FRB議長のように「あきらめずに頑張ること」ができるか Bloomberg

 正念場はこれからだ。景気後退と雇用悪化が現実味を帯び始める中で、FRBはインフレ退治を最優先に掲げ続けられるのか。

 パウエル議長は、歴史から三つの教訓を得た。①物価安定に対するFRBの絶対的責任、②インフレ期待の重要性、そしてボルカー元FRB議長の回顧録のタイトルでもある③「諦めずに頑張ること(“Keep it at”)」だ。23年は特に最後の教訓の実践が試される。

 FRB史上最悪の議長といわれる人物がいる。ニクソン大統領の指名を受けて1970年に 議長に就任、78年に退任したアーサー・バーンズ氏である。

 バーンズ氏の任期がその大半を占める65年から82年の米国経済は「グレート・インフレーション」期と呼ばれる。FRBに関する最も包括的な歴史書“A History of the Federal Reserve”の著者であった米経済学者アラン・メルツァー氏は、グレート・インフレーション期の政策を次のように述べている。

「FRBは何度もインフレを抑制、もしくは終息させようとした。しかし、失業率が上昇したり、経済活動が停滞したりすると、都度、方向転換した」

 バーンズ氏が、インフレの脅威を軽視していたわけではない。FRB議長に就任する時点で、米国経済は慢性的インフレに見舞われていた。経済学者であったバーンズ氏は、69年に出版した著書で次のように述べている。

「深刻な恐慌はもはや脅威ではなく、持続的なインフレ(クリーピング・インフレ)が脅威である。持続的なインフレは経済的繁栄の継続に不必要であるばかりか、いずれ重大な障害となり得る」

 79年9月30日、議長を退任して1年8カ月後に、バーンズ氏は「中央銀行の苦悩」と題した講演を行い、過去15年間の米金融政策を振り返った。その中で、「米国経済は三つの段階を経て持続的・慢性的なインフレに苦しむことになった」と述べた。

ニューエコノミクス

 第1段階は、65年から70年までの局面に相当し、「ニューエコノミクスに触発された景気抑制策(ファイン・チューニング)と、ベトナム戦争による拡張的財政」(バーンズ氏)がインフレの原因となった。

 ケネディ・ジョンソン両政権の経済政策の理論的支柱であったニューエコノミクスは、4%の完全雇用失業率を前提に、それを実現する潜在的GNP(国民総生産)の水準まで米国経済のパフォーマンスを引き上げようと、財政・金融政策を積極活用することを主張した。短期的な景気刺激策やファイン・チューニングを通じて、深刻な不況やインフレに見舞われることなく、米国経済が円滑に発展していくと信じられていた。

 インフレの第2段階では、FRBには対処できないショックが相次いだ。ドル切り下げ、72~73年の世界的景気過熱、73~74年の穀物不作と世界的食糧価格の高騰、60年代後半以降の生産性の悪化である。

 インフレの第3段階は「長期にわたるインフレの経験が、将来もインフレが続くという期待を広め、インフレがそれ自身の勢いを増して獲得していく過程」だ。「インフレは自己増殖する」というボルカー氏の言葉はよく知られているが、インフレ期待の不安定化に対する危険性をバーンズ氏は共有していたのである。

 問題は、バーンズ氏が雇用を常に優先してきたことにある。例えば71年2月、景気回復直後であるため「金融緩和が必要なことに疑いの余地はない」と米国議会で証言した。「現在の過度の金融緩和が持続的なインフレ・コントロールの機会を破壊しかねないことは十分に承知の上だ」

(小野亮・みずほリサーチ&テクノロジーズ調査部プリンシパル)


週刊エコノミスト2023年1月10日号掲載

検証 米国金融政策/上 「バーンズ」の失敗に学ぶ パウエル「インフレとの戦い」=小野亮

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