教育長人事などの政治介入や「副業先生」導入によるサービス産業化など教育現場に及んだ日本衰退のしわ寄せを告発 評者・後藤康雄
『崩壊する日本の公教育』
著者 鈴木大裕(教育研究者) 集英社新書 1100円
すずき・だいゆう
1973年生まれ。米スタンフォード大学教育大学院修了。帰国後、公立中学の英語教師などを経て高知県土佐町の町議会議員となり、教育を通した町おこしに取り組む。著書に『崩壊するアメリカの公教育』など。
「人」を育てる教育のあり方は、国の行方を決する。最近も学費無料化など教育をめぐる議論は尽きない。本書は、公立中学校教師として、教育学の研究者として、さらに地方議会議員として、教育分野に長年携わってきた著者が、日本の公教育の現状を強く批判するものである。
教育への政治介入は、著者が強く批判する現状の一つである。教育委員の中から選ばれていた教育委員長が廃止され、自治体トップが教育長を任命する制度に変わったことで、首長が教育行政に意向を反映しやすくなった面は確かにあるだろう。このほかにも、例えば「全国学力テスト」は、学校別の成績などを通じ、成果主義の衣をまとった政治介入を可能にしたと指摘する。
著者がさらに強く批判するのは、経済原理に基づく効率化である。これは市場化やサービス産業化とも言い換えられる。教員免許を持たない社会人などを活用する特別免許状に関する規制緩和がなされてきた。近年「副業先生」とも呼ばれる同制度は“教員市場”の形成につながる。
制度をうまく使えば、教育の多様化や生産性向上に資すると期待されるが、著者は身分の不安定化を通じてむしろ教員不足を加速すると懸念する。このほか、部活動などのアウトソースも、地域の財政状況次第の「習い事」化を進めると危惧する。
これら効率化の推進は、多忙化する教員の「働き方改革」と表裏一体の関係にある。それは、結局のところ教員を増やせない国の財政逼迫(ひっぱく)の制約下にある。日本経済の体力が衰え、教育という大事な国の投資にしわ寄せがいっている構図にみえる。
著者は、最終的に「新自由主義」に象徴される、市場経済という社会の体制自体に批判の矛先を向ける。本書全体を貫く、こうしたイデオロギー的な議論に距離を置く向きは多いと想像される。一方で、社会全体にも通じる市場主義のゆがみの是正に対する共感も少なくないだろう。国が向かうべき方向性には大きく意見が分かれそうだが、公教育への危機感は広く共有されるように思われる。
中学校が舞台の往年のドラマ「3年B組金八先生」を見て育った世代としては“古き良き時代”に思いをはせつつ、政治や価値観の変化、経済の低成長など根深い要素が絡み合う現状を知るにつけ悲観的な気持ちになる。しかし、大学院卒を採用の条件とするフィンランドでは、教員は人気の職業であることも本書で述べられる。一筋の光明をそこに感じるのは楽観的に過ぎるだろうか。
(後藤康雄・成城大学教授)
週刊エコノミスト2024年12月24日号掲載
『崩壊する日本の公教育』 評者・後藤康雄