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小説 高橋是清 第182話 浜口雄幸=板谷敏彦

(前号まで)

 中国では蒋介石軍の進撃が続く。北京を脱出した張作霖は関東軍に爆殺される。国内では金融恐慌が収束、金解禁に動き出すが田中内閣が瓦解する。

 昭和3(1928)年7月2日、張作霖爆殺事件の処理で昭和天皇からの信任を失ってしまった田中義一内閣は総辞職した。在任2年2カ月であった。

 この時、議会の勢力は立憲政友会が237議席、野党の立憲民政党は173議席であり、立憲政友会の一部では再び政権を確保しようと策動する者もあったが、元老西園寺公望は民政党総裁の浜口雄幸を次期総理に推すことにした。浜口には実直で真面目で怖い容貌から「ライオン」というあだ名が付いていた。

 一方で、辞任する田中と言えば陸軍軍人出身でありながらちょっと軽い男、持ち上げられると長州の田舎言葉の「おらがやる」とばかりに「おらが」を連発するクセがあり、「おらが総理」とも「おらが大将」ともあだ名が付いていた。

 昭和金融恐慌の際に是清が手をつけようとしてあきらめた川崎造船所問題なども、田中が「おらがやる」と見えを切りながら、結局投げ出してしまうようなところがあったのだ。

 田中内閣総辞職のこの時期、関東大震災からの復興も目に見え始め、銀座ではモガ・モボが闊歩(かっぽ)していた。カフェーが乱立し、カフェー・タイガー、カフェー・ライオンなどが賑わいを見せる中、早慶戦に勝った慶応の学生が銀座で暴れて十数人が検挙されている。

 困窮する農村がある一方で、都会は不夜城となり繁栄する、格差が広がるそんな時代である。

 田中は官邸を去る際に側近に漏らした。

「首相官邸はカフェー・オラガーというそうじゃが、今度はカフェー・ライオンと看板が替わるんじゃろうのう。おらももう一度頑張ってカフェー・オラガーを開店する考えじゃよ」

 この翌々年、寿屋(現サントリー)は大日本麦酒や麒麟麦酒に対抗して派手な広告とともに「オラガビール」という格安商品を出してビール市場に参入した。もちろん有名になった田中のだじゃれを拝借したのである。

ライオン宰相

 浜口雄幸は明治3(1870)年高知県の生まれ、若くして素封家浜口家の入り婿となった。幣原喜重郎とは三高、帝国大学の同級生であり、大蔵大臣経験者の勝田主計とは大学、大蔵省の同期である。

 自分を曲げない性格が禍(わざわ)いし、大蔵省入省直後に上司と衝突して、若いうちは地方勤務を転々とした。一方で勉強は欠かさず、地方にいても『ロンドン・タイムズ』を購読していたような読書の虫でもある。東京に戻っても主流ではない専売局に配属され、たばこの専売化や製塩業者の整理などを手がけた。

 時に半年間の洋行の話もあったが、面倒を見ていた養母の世話を優先して断った。高級官僚としては輝かしい経歴などではなかった。

 しかし、塩を扱っている関係で国会答弁などにも登場し、見ている人は見ているもので、後藤新平がその才能に目をつけた。

 後藤は次官級が次に就くポストであり、年収が十倍にもなるといわれた満鉄理事へと勧誘したが、浜口は塩の仕事が未完であると断った。

 しかしながら、そうして断り続けた7年目、大正元(1912)年12月、後藤…

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