週刊エコノミスト Online 小佐野彈の 虹色の島から

オリンピックを楽しむ人は「そっち側の人」なのか 僕たちの社会をむしばむ「二元論地獄」の正体=小佐野彈

アメリカには人種的グラデーションを持つ人が多いのだけれど……
アメリカには人種的グラデーションを持つ人が多いのだけれど……

 東京オリンピックは8日、最終日を迎えた。新型コロナウイルスの感染再拡大の中での五輪開催には、反対する世論が多かったし、国立競技場の外では日々オリンピック反対のデモが行われていた。僕自身も、こうした混乱の下、開催が強行されたことに対しては、もやもやとした気持ちが胸に渦巻いている。

僕は「権力側」の人間?

 いっぽうで、僕はスポーツ観戦が好きだ。台湾で放送されている東京オリンピックの各競技をテレビで観戦しながら興奮した。ところが先日、個人的なSNSアカウントでオリンピックの試合結果について感想を書いたら、ある人から「小佐野さんも結局はそっち側の人間なんですね」というメッセージが届いた。その人の言う「そっち側」が果たしてなにを意味するのかは明瞭ではないけれど、おそらくは「権力側」とかそういった意味合いだろう。

 僕は基本的に政治的な立場について公言しないようにしているし、現政権のコロナ対策や、五輪組織委員会の運営を素晴らしいと思っているわけでもない。それでも僕にメッセージを送ってきた人によれば、オリンピック観戦を楽しんでいる僕は「オリンピック賛成派」「あっち側の人」とカテゴライズされるらしい。

社会は「二元論」で語られることが多い

 僕たちの生きる社会では、多くのものごとが二元論に基づいて語られる。

 善悪、あるいは男女。保守と革新、あるいは思想の左右。ものごとを「あちら側」と「こちら側」に分けてしまうのは、たしかにわかりやすいし、説得力がある。

 だが、世の中は二元論では説明できないもやもやとしたグラデーションで溢れている。「男」と「女」というふたつの性別に収まらない(収まれない)者のためにうまれた「LGBT」という言葉はすでに市民権を得た、と言ってもいいだろう。

 とはいえ、性的指向すなわちセクシュアリティーも「レズビアン」「ゲイ」「バイセクシュアル」というふうにきれいにカテゴライズはできないし、性自認(ジェンダー・アイデンティティ)に関しても、「私は女」「私は男」と断言できるひとだけがこの社会に生きているわけではない。だから最近では「SOGI」(Sexual Orientation=性的指向、Gender Identity=性自認)という言葉が使われるようになってきた。

 これならば、あらゆる性的指向や性自認のひとを、強制的になにかしらのカテゴリに押し込まずに済む、ということである。

台湾で聞かれる「あなたは何人か」

 台湾ではよく「あなたは何人なのか」というアンケートが行われる。選択肢は「台湾人」「中国人」そして「台湾人であり中国人」の三つであることが多い。

 台湾では、人口のおよそ85%を占める、十六世紀ごろに大陸から渡来した漢民族にルーツを持ついわゆる「本省人」と呼ばれるグループに対して、人口の約13%は、1947年に国共内戦に破れた蒋介石とともに大陸から台湾に逃れて来た漢民族をルーツに持つ「外省人」と呼ばれる人々である。残りの2%は、漢民族の渡来前から台湾で暮らして来たマレー系の先住民族の人々だ。

 1988年に、故・李登輝氏が初の本省人の総統となって以来、台湾人の「本土意識」は高まり、「私は台湾人だ」と答えるひとの割合は年を追うごとに増えていった。中国の膨張や言論弾圧が目立つようになった近年は、その傾向がことさら顕著だ。

 とはいえ、中国本土の厦門の目と鼻の先にある金門島に暮らす人々や、外省人が多い軍人の家系などは、いまでも「自分は中国人だ」あるいは「自分は中国人であり、台湾人だ」と考える人も多い。だから、「中華民国(TAIWAN)」という緑のパスポートを持っている人に対して、「あなたは台湾人(Taiwanese)なのですね」とかんたんに言うことはできない。「自分は台湾人だ」という人がいまは多数派だけれども、感覚として「中国人でもあり、台湾人でもある」という二元論では説明できないアイデンティティを持っている人も少なからずいるのだ。

「一滴」でも血が混じっているか否か

 二大政党制が根付いて久しい二元論大国のアメリカは、トランプ前大統領の出現によって、元来くすぶっていた二元論の火種が猛火となって、さながら「二元論地獄」のような状態に陥った。

 アメリカには<one drop rule>というものがある。自らの血筋をさかのぼって、祖先や係累にひとりでも黒人がいれば、「黒人」と名乗ることができる、というものだ。一滴(one drop)でも黒人の血が流れていれば黒人、ということである。

 逆に言えば、黒人の血が流れていないのに黒人として振る舞うのは、大きなタブーになるのだという。自らも「黒人の血が流れている黒人だ」と称し、長年にわたって人種問題に携わり、黒人やアジア系、ヒスパニック系の擁護者だった大学教授が、実は一滴も黒人の血が流れていなかったことが露見して、猛批判にさらされる、という事件があった。彼女が黒人や有色人種の権利獲得に邁進してきたのは間違いないし、その実績はゆるがないはずなのに、<one drop rule>を侵した彼女は結局職を追われた。

 僕は子供のころから、アメリカは「人種のるつぼ」だ、と聞かされてきた。青春時代の一時期を過ごしたハワイでは、日本人や中国人、フィリピン人や先住ハワイアン、そしてタヒチ人などなど5つや6つ以上の人種的ルーツを持つ友人も多かった。アメリカにはこうした人種的グラデーションを持つ人が多いのだけれど、こうした人々を二元論に押し込もうとすると、結局「白人」と「非白人」というざっくりとしたカテゴリに頼ることになってしまう。

「ほんまもんの京都人」とは?

 マイノリティとマジョリティのちがいを「権力を持っているか否か」に求める向きもある。男性が社会的に優位な状態――それこそいまの日本社会においては、日本人であり性自認も肉体の性も男性である僕はマジョリティである。しかし、セクシュアリティがゲイである点は、マイノリティだ。僕というたった一人の人間の中にも、マジョリティとしての属性とマイノリティとしての属性が混ざり合って共存している。

 日本で生まれ、日本で育ち、日本国籍を持ってヘテロ・セクシュアル(異性愛者、異性に対して恋愛感情や性的な感情を抱く人)として生きているひとにとっては、こうした問題は「他人事」に映るかもしれない。けれど、実際は多くのひとがグラデーションのなかに身を置いている。

 たとえば僕の在台の若い友人に、京都市南区出身のやつがいる。かつて僕は、ひとに彼を紹介するときかならず「彼は京都のひとで……」という枕詞をつけていた。ところがその都度、彼は「僕が京都人や言うたらほんまもんの京都のひとに怒られますから」と訂正する。

「ほんまもんの京都のひと」と「そうではない京都のひと」を分ける線がどこにあるのか、東京出身の僕にはさっぱりわからない。僕からしたら、はんなりとした京言葉を話し、どことなく品が良くて皮肉屋でもある彼は「ザ・京都人」に映るのだけれど、彼自身にしてみれば、自分は「京都人ではない」のだ。だから僕は、彼を紹介するときに「京都」というキーワードを出さなくなった。彼のアイデンティティを、他者である僕が、僕の主観で決める権利はないからだ。

僕たちの生きる社会自体がグラデーション

 ほとんどの人はグラデーションを抱えて生きている。というより、僕たちの生きる社会自体が、グラデーションなのだ。はんなりとした京言葉と京都市出身という情報だけで、その人を「京都人」だとは言えないように、オリンピック観戦を楽しんでいるからと言って、その人が「権力側の人間だ」とは限らない。

「多様性社会」というと、ついつい「さまざまな人が共存する社会」をイメージしがちだけれど、そこに至るための最初の一歩は、たった一人の人間のなかにもさまざまな要素がある、という当たり前のことを認識することだろう。

「あの人はゲイだから」

「あの人は京都人だから」

「あの人はオリンピック支持者だから」

「あの人はワクチン反対派だから」……。

 ある人物のほんの一面を垣間見ただけで、その人自身のアイデンティティや属性を決めてしまうことは、分断や対立しか生まない。自分自身の中にもやもやした部分があるように、他人にももやもやした部分があること――。多様性社会実現のための第一歩は、まずはそこに思いをいたすところからはじまるのではないだろうか。

小佐野 彈(おさの だん)

 1983年東京生まれ。慶応義塾大学経済学部卒、慶応義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了。第63回現代歌人協会賞受賞。18年に歌集『メタリック』(短歌研究社)、19年に小説『車軸』(集英社)を刊行。最新作は中編小説「うずくまる夏」(「すばる」2021年8月号)。台湾を拠点にメルボルン、ロンドンなどで日本茶カフェチェーン「TSUJIRI辻利茶舗」を経営する。台湾台北市在住。

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