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《スタートアップの時代》新型コロナを乗り超えて根付いた起業家精神=岩崎薰里

新型コロナを乗り越えて根付いた起業家精神=岩崎薫里

 <到来!スタートアップ時代>

 わが国におけるスタートアップの事業環境をコップの水に例えると、10年前には水が1割しか入っていなかったのが、今では半分程度まで増えている。つまり、10年前と比較すると事業環境は格段に改善した。しかし、米国などのスタートアップ大国に比べると「いまだ半分」、つまり改善余地は依然として大きい。(起業の時代 特集はこちら)

 日本では1970年代以降、スタートアップのブームとバスト(破裂)が繰り返されてきた(表)。バストの後は、次のブームが到来するまでスタートアップがほぼ一律に厳しい事業環境に置かれるのが常だった。

 ところが、ビッグデータやAI(人工知能)などのデジタル技術の実装に伴い、2014年ごろに第4次ブームが始まると、これまでと異なりスタートアップの順調な立ち上げが息長く続き、新型コロナ禍というショックも乗り越えることができた。スタートアップ情報プラットフォーム「INITIAL」によると、スタートアップの資金調達額は13年の900億円弱から、21年には7800億円へ9倍近く増加した(70ページ図1)。

サポート体制の改善

 事業環境の改善を背景に、スタートアップがブームとバストを繰り返すサイクルから脱却し、わが国に根付いたといえる。ここにきて世界的な金融引き締めに加えて、リスク回避姿勢が強まっているが、それによってスタートアップへの選別色が強まりこそすれ、バストに至る公算は小さい。

 スタートアップが日本経済に根付いてきたのは、主に以下の四つの点で、事業環境が改善してきたからといえよう。

 第一に、スタートアップをサポートする人材や組織の拡充である。スタートアップは単発であればどこであっても設立されるが、継続的に設立されるためには、資金提供者としての投資家、ビジネスのタネや人材の供給源としての大学、業務提携先や取引先としての大企業、相談相手としてのメンターや起業経験者、手軽で安価な活動拠点としてのシェアオフィスやコワーキングスペースなどが周辺に手厚く存在することが重要となる。

 その点、日本も大学や大企業がスタートアップに関与するようになったことに加えて、過去のブームを通じて、そのほかの人材・組織が徐々に拡充していった成果が、ここにきて表れている。

 第二に、スタートアップに対する社会の認知度の向上である。従来、「スタートアップ=怪しげ」「起業家=アウトロー」といった、必ずしも好意的でないイメージが根強かった。しかし、スタートアップがイノベーション創出の重要な担い手であるとの認識が浸透したことに加えて、政府が積極的な促進策(国が選定したスタートアップに官民で集中支援するJ─Startupやスタートアップ・エコシステム拠点形成戦略、官民ファンドなど)を通じてスタートアップにいわゆるお墨付きを与えたことから、社会的に認められるようになっていった。

優秀な人材の流入

 第三に、優秀な人材の流入である。これまでは難関大学を卒業し大企業に就職していたような人が、そこを飛び出してスタートアップを立ち上げたり、チームメンバーに加わったりするようになっている。例えば、エグジット(新規株式公開〈IPO〉やM&A〈企業の合併・買収〉)による「卒業分」も含め、ユニコーン(推定評価額10億ドル〈約1220億円〉以上の未上場企業)にまで大きく成長したスタートアップ9社のうち5社の創業者が東京大学の卒業生である。これは、2点目の社会的認知度の向上に加えて、世の中をよくしたい、新しいことに挑戦したいといった意欲が、優秀な人の間で高まっているためである。

 大企業と遜色のない待遇のスタートアップが増えていることも、人材の流入に寄与している。例えば、クラウド人事労務ソフトを提供するSmartHRの平均年収は637万円に達している(21年7月時点、同社資料)。

 第四に、実質的なセーフティーネットがある程度整ってきたことである。スタートアップは既存企業が手掛けていない未踏の領域に乗り出すため、失敗する確率のほうが高い。わが国では事業の失敗者への風当たりが強く、従来、スタートアップの経営に失敗した起業家は社会的信用が失墜し、再起が難しかった。

 ところが、最近では単線型キャリアパスが崩れ、多様な働き方が可能になったうえ、DeNAやサイバーエージェントなどスタートアップの体質を維持した新興企業が徐々に増えている。このため、たとえ失敗しても、フリーランスで働いたり新興企業に就職したりするなどの道が開かれ、スタートアップに身を投じるハードルがその分、下がっている。

 このように現在のスタートアップの事業環境は、筆者の知り合いの連続起業家(シリアルアントレプレナー)が評する通り「昔に比べれば天国」ではあるが、その一方で改善余地が依然として大きいのも事実である。

まだ少ない起業家

 日本のスタートアップの資金調達額は大幅に増加したとはいえ、世界全体に占める割合は1%程度にすぎない。スタートアップの資金調達額の対名目GDP(国内総生産)比も、わが国は0・1%と、イスラエル(1・0%)、米国(0・7%)など主要国に比べて低く(18~20年平均、図2)、経済規模に比べてスタートアップの活動規模が小さいことが確認できる。

 この主な要因として、スタートアップの絶対数の少なさと、その裏にある起業家の少なさが挙げられる。スタートアップは前述の通り成功確率が低く、したがって多産多死を前提に、スタートアップが多産される環境、つまりスタートアップの立ち上げに挑む人が大勢存在し、また、一人の人が何度も立ち上げに挑む、そのような環境が重要となる。

 例えば米国では、職業の選択肢として起業が根付いており、新型コロナ禍では、起業希望者や失業者ばかりでなく、休業や在宅勤務で時間的余裕のできた人なども起業に乗り出している。その結果、10~19年に年平均4%のペースで増加していた起業申請件数(個人事業主を含む)は20年、21年と2年連続で2割増となった。その多くは今後、さまざまな困難に直面するだろうが、生き残った企業のなかから明日のアマゾンやグーグルが出てくるかもしれない。

 起業という選択肢が定着するためには、起業家の育成などの政策支援も重要であるが、それ以上に、起業家を応援し、たとえ失敗してもその経験を高く評価する社会へとわが国をもっていくことが肝要であり、そのための多面的な取り組みが求められる。

(岩崎薫里・日本総合研究所調査部上席主任研究員)

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