国際・政治 絶望のガザ

欧米にじゅうりんされ続けてきた中東 福富満久

嘆きの壁を訪れた少年 筆者撮影
嘆きの壁を訪れた少年 筆者撮影

 地中海と死海とヨルダン川に挟まれた地域は、エーゲ海沿岸に起源を持つペリシテ人の住む土地「パレスチナ」と呼ばれ、はるか昔からさまざまな部族、人々が居住していた。エルサレムは古くから欧州・アジア・アフリカを結ぶ商業都市として発展、そこを最初に聖地としたのは、ユダヤ民族であった。「バビロン捕囚」や紀元70年のローマ軍の進軍によって同地から排除されると、アイデンティティーを保つため、先祖からの教えを見直し、ユダヤ教を創設した。

>>特集「絶望のガザ」はこちら

 だが、キリストが十字架にかけられたエルサレムは、キリスト教徒にとっても聖地であり、イスラム教徒にとっても預言者ムハンマドが昇天した場所として、メッカ、メディナに次ぐ第三の聖地となった。7~8世紀以降、地域に住むアラブ人にイスラム教が広がり、13世紀末以降、同地をオスマン帝国が統治してきた。ところが、世界の「中央」に鎮座するオスマン帝国は欧米列強にとって邪魔な存在だった。

拡大はこちら

 時が流れ、英国はオスマン帝国の弱体化を確信すると1915年、アラブ勢力がオスマン帝国に反乱を起こす代わりに、戦後の独立を約束する「フサイン・マクマホン協定」を締結。その一方、英国、フランス、ロシアとの間で翌16年に「サイクス・ピコ協定」を結び、戦後の中東地域の分割を秘密裏に決定した。さらに17年、第一次世界大戦の戦費捻出のためにユダヤ人富豪ロスチャイルド家に接近、融資と引き換えにユダヤ人国家の建国を支持する「バルフォア宣言」を発表した。

搾取し続ける欧米

 終戦後、サイクス・ピコ協定にのっとり英国はイラクとトランスヨルダン(現在のイスラエル、パレスチナ、ヨルダン)を委任統治領とし、フランスはレバノン、シリアを委任統治領とした。その後、1948年に英国の委任統治が終了すると、イスラエルが独立を宣言。アラブ諸国が独立阻止を目指してパレスチナに進攻し、それによって73年まで4度の中東戦争に発展した。

 一方、北アフリカも1848年にアルジェリアがフランスに占領されると、隣国チュニジア、モロッコも順次フランスに組み込まれることになった。アルジェリアは1956…

残り787文字(全文1687文字)

週刊エコノミスト

週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。

・会員限定の有料記事が読み放題
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める

通常価格 月額2,040円(税込)

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

5月14日・21日合併号

ストップ!人口半減16 「自立持続可能」は全国65自治体 個性伸ばす「開成町」「忍野村」■荒木涼子/村田晋一郎19 地方の活路 カギは「多極集住」と高品質観光業 「よそ者・若者・ばか者」を生かせ■冨山和彦20 「人口減」のウソを斬る 地方消失の真因は若年女性の流出■天野馨南子25 労働力不足 203 [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事