《ドル没落》インタビュー:行天豊雄氏、「ブレトンウッズ3」不在は大失策、ドル一極集中は限界に
有料記事
30年前終わった東西冷戦に比べても格段に厳しい国際政治の危機が出現している。通貨戦争の歴史の現場を知る行天氏に話を聞いた。
(聞き手=浜条元保・編集部)
── 1944年にブレトンウッズ体制が確立し(ブレトンウッズ1)、71年に金とドルの交換を停止した「ニクソン・ショック」が起きて変動相場制による「ブレトンウッズ2」に移行して現在に至っている。この体制をどう評価するか。
■まず、「ブレトンウッズ1」は、極めて安定した世界のために役に立つシステムであって、一言でいえば米国の一極覇権体制だった。これはうまくいった。主導した米国も偉かったし、世界も受け入れた。その体制が25年間以上も続き、日本を含めた戦後の復興にとってこれほどの恩恵はなかった。
── 25年以上も続いたのはなぜか。
■覇権国家となった米国の非常に大きな負担によって、ブレトンウッズ1が維持されたことは明確だ。そのコストが大きくなって、米国は負担ができなくなりニクソン・ショックに至った。
欧州が米国の資金を通じて復興し、対米輸出が伸長してドルの保有高を増やした。1958年から米財政収支が赤字基調となり、欧州諸国からのドルと金の交換請求が増えて米国の金の保有高が減少の一途となり、ドルと金との兌換(だかん)維持が不可能になった。
── 71年に金ドル本位制からドル本位制に移行した。米国の影響力に変化があったのか。
■通貨体制としてのブレトンウッズ1はそこで完全に崩れたものの、米国が依然として絶対的な経済大国、軍事大国であり、米国の総合国力で他国を凌(りょう)駕(が)してドル本位体制が続いた。
── では、91年にソ連が崩壊して冷戦が終結した後は、どうか。
■ドル本位体制の下で世界の経済秩序でいろいろなことが起こった。一つは冷戦、さらには日本や当時の西ドイツなども台頭。石油ショック(73年、79年)を契機に産油国の発言力も高まり、韓国や東…
残り1118文字(全文1918文字)
週刊エコノミスト
週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める