経済学は「自然科学」の“仮面”を外さざるを得なくなったのか 前田裕之
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「経済学は純粋な科学なのか」という視点で、話題になった歴代受賞者を振り返る。
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2024年のノーベル経済学賞の受賞が決まったダロン・アセモグル氏はサイモン・ジョンソン氏とともに記者会見を開き、「民主主義は非常に厳しい局面を迎えている」と強調した。
支配者層が住民から搾取する「収奪型社会」と、政治や経済面での自由や法の支配を確立した「包括型社会」を対比させたアセモグル氏らは、後者の優位性をデータで立証した。この研究自体の意義は大きいが、昨今の世界情勢を見ると、権威主義的な国家が台頭する一方で、包括型社会を代表する民主主義国家では国民の分断現象が目立ち、混乱を極めている。アセモグル氏は記者会見で「民主的な制度が大きな回復力と創意工夫を示してきたと信じている」と民主主義を擁護した。
「遺言」にはなかった
19年の経済学賞の受賞者、アビジット.V.バナジー氏とエステール・デュフロ氏は、アセモグル氏らの研究から教訓を引き出し、「旧ソビエト型、毛沢東型、北朝鮮型の共産主義は避けるべきだ。民間企業に対する政府の過度の介入や規制も避けた方がよい」と主張している。受賞者たちの政治性が強いメッセージに戸惑う人もいるだろうが、こうしたメッセージにこそ「経済学の本質」が宿っているのではないだろうか。
ノーベル経済学賞の歴史を振り返ると、「経済学は自然科学と同様な“科学”である」とのイメージ作りに腐心してきたことが分かる。スウェーデン国立銀行が設立300年を記念してノーベル賞を運営するノーベル財団に働きかけ、1969年から表彰が始まったノーベル経済学賞。アルフレッド・ノーベル氏が遺言で創設を求めたのは物理学、化学、生理学・医学、文学、平和の各賞であり、経済学の名前はなかった。社会科学の中で経済学だけが表彰の対象になったのは、賞金を提供する銀行が要請したからにすぎない。
経済学賞の選考委員長を長く務めたスウェーデンの経済学者、アサール・リンドベック氏は「自然科学の他の分野と同じ原則に従っており、賞は純粋に科学的な褒章である」と綴っている。「経済学は自然科学に最も近い存在だ」とアピールし、賞の存在意義を示す必要があったのだ。
経済学賞の創設以来、選考委員会が好んだのは、経済現象の中にさまざまな「法則」を発見し、精巧な理論や研究手法を確立した学者たちだ。思惑通りに賞の権威は高まったものの、さまざまな「価値観」や「思想・哲学」の上に成り立っている経済学が自然科学に近づこうとするのはそもそも無理がある。過去の受賞者を見ると、「政治的な配慮」があったのではと思わせる事例が少なくない。経済学が「純粋な科学」であるのなら、そんな配慮は不要だろう。
主流派を批判したセン
ノーベル経済学賞は、選考時の20〜30年程度前の研究業績が対象である。おおむね時系列に沿って選考を進めてきており、そのときどきの世の中の流れに合わせているわけではない。それでも目まぐるしく変動する経済を取り扱う学問である以上、足元の政治・経済情勢や時流を完全に度外視はできないはずだ。
74年、政府の経済計画の責任者を務め、低開発国の貧困問題に目を向けたグンナー・ミュルダール氏と自由市場を信奉し、政府の介入に反対するフリードリヒ・フォン・ハイエク氏が同時受賞した。マクロ経済を主な研究対象にしながら正反…
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週刊エコノミスト
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