不毛地帯だったアフガニスタンが世界で最も重要な場所になった理由は=福富満久
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素顔のアフガン 米ソ覇権が生んだタリバン 日本のエネルギー供給を左右=福富満久
米国は2001年、「9・11」米同時多発テロを受けた後、テロの首謀者ウサマ・ビンラディンをかくまっているとしてアフガニスタンに侵攻した。それからちょうど20年。8月30日に米軍撤退を完了させたバイデン大統領は、「アフガニスタンには米国にとって、極めて重要といえる国益はない。米国は、今後、中国やロシアに対抗する外交と国際協調に重きを置く」と演説して米国史上最長の戦争を終結させたことに胸を張った。
だが、米国は1979年の旧ソ連侵攻から約40年間にわたってこの国に介入し、破綻に導いたのだった。
もともとアフガニスタンは1747年に王国として建国され、1880年に他の湾岸諸国と同様英国の保護下に入り1919年に独立したのだが、国際政治的には、何の重要性もない国であった。日本の1・7倍の面積を持つ国土の75%は山岳部であり、その平均海抜高度は1800メートルである。東部には7000メートル級の高山が横たわる険しい地形も相まってどの国も興味を持たない不毛地帯であった。
ところが78年、この地に共産主義政党である「アフガニスタン人民民主党」政権が成立、ソ連が軍事支援すると、情勢が一転、世界で最も重要な場所になった。ソ連が次にアフガニスタンの南にあるパキスタンを攻略すれば、ソ連はアラビア海にソ連海軍を配備することができる。それは西側経済を支えるペルシャ湾からの石油供給ルートが断たれることを意味した。
危機感を抱いた米国は、パキスタン当局とアラブの盟主サウジアラビアに協力を要請し、イスラム聖戦士(ムジャヒディン)を育成、アフガニスタンの反政府勢力に対する軍事支援を開始した。後に米国にテロを行うビンラディンは、この時ムジャヒディンを資金力で束ね、影響力を拡大させたとされる。
88年、駐留ソ連軍の撤退を定めたジュネーブ和平合意が成立し、翌年2月ソ連軍が撤退完了すると、軍閥やイスラム原理主義組織などが覇権を争い、混乱の中から「神学生」を意味する新興勢力、タリバンが94年末に台頭。01年9月11日米同時多発テロが発生すると、真っ先にやり玉に挙がったのが、アフガニスタンだった。国際テロ組織「アルカイダ」の構成員や、ビンラディンが潜伏しているとみられたからだ。
すぐさま米国は、国際テロ組織壊滅のための軍事介入を開始、ビンラディン殺害後もタリバン掃討を続けた。結局約200兆円もの出費に加えて、戦争の直接的被害によって24万3000人の犠牲を出し、民主化も女性の権利も保護できず、撤退した。人命の損失は、ベトナム戦争に比べて少ないものの、かかった戦費はベトナム戦争を優に超える、まさに「歴史的敗戦」となった。
「戦争孤児の避難所」
米軍は、タリバンの壊滅を狙って山岳地帯では無差別的に空爆を行い、都市部では家宅捜索を行って、他人が足を踏み入れることの不可能な女性の居室や女性たちが着るブルカの下まで武器や爆弾などを隠していないか強制捜査をした。憤ったタリバンは、米国が逮捕して拷問したイスラム過激派の受刑者らが収監され…
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週刊エコノミスト
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