自分の「良心を納得させる」ためだけに描いた画家の軌跡を目撃せよ 石川健次
有料記事
美術 田中一村展 奄美の光 魂の絵画
人生も後半生に差し掛かろうかという50歳を機に奄美大島に移り住んだ田中一村は、19年後の1977年、広大なマングローブの森など多種多様な動植物が生きるこの島の畑の中の一軒家で夕食を支度中、心不全でその生涯を閉じた。看(み)取(と)る人はいなかったという。
「生前まったく無名」(本展図録)のこの画家が知られるようになったのは、死から2年後、奄美の知人たちによって地元の公民館で3日間だけ開かれた展覧会がきっかけだ。やがてテレビの全国放送で画業が紹介されるや大反響を呼び、多くの評伝や画集が刊行されるなど人気は不動となった。
こうした軌跡が、「異端の画家」などのイメージを膨らませ、人気に拍車をかけた感は否めないだろう。東京美術学校(現東京藝術大学)日本画科の同級生で早くから頭角を現し、後にいずれも文化勲章を受章した東山魁夷や橋本明治らと並べると、なるほどそう見えるかもしれない。
だが、その真価はまさに作品にこそあるのは紛れもない。幼年期から最晩年まで「あますところなく紹介するこれまでにない大回顧展」(本展図録)という本展を見て、その力量、群を抜く魅力に目を見張った。と同時に、生前に光が当たることのなかった不運、不屈の軌跡に改めて思いをはせた。
図版は、「一村畢生(ひっせい)の大作」(同)と謳(うた)われる作品だ。夏に甘い香りを放つオレンジ色の実がなるアダンの木が主題だ。実は奄美大島に移り住んだ一村は、紬(つむぎ)工場で染色工として働いて制作費を蓄えたら絵画に専念する計画を立てた。いったん創作にスイッチが入ると、寝食も何もかも忘れて没頭する人だったのだ…
残り579文字(全文1279文字)
週刊エコノミスト
週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める