「袴田事件」無罪判決は「供述調書」に強い疑問を突きつけた 調書はなぜ「一人称」なのか 指宿信
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58年を経て終止符が打たれた袴田事件。無罪判決は同事件だけでなく、今日の刑事司法が依拠する「供述調書」のあり方にも疑問を突きつけている。
真実発見に資する司法改革を
いわゆる「袴田事件」における袴田巌氏(88)の再審無罪判決に対し、検事総長は控訴期限の2日前となる2024年10月8日、控訴を行わない談話を発表し、同事件の刑事裁判に幕が引かれた。
袴田氏の自白を検察官が録取した「検察官調書」1通が最初の裁判における死刑判決では証拠とされたが、今回の無罪判決はこれを捏造(ねつぞう)であるとして証拠から除外した。同様に、再審開始決定のきっかけとなった「5点の衣類」、袴田氏の実家から発見された「ズボンの端切れ」という二つの客観証拠についても捏造であると判断した。
あまり報じられないが、この重要証拠である「端切れ」の発見経緯を評価するに際し、今回の無罪判決は大変興味深い指摘をしていて、袴田氏の母親の捜査段階の供述を信用できないと判断している。すなわち判決は、今日の日本の刑事司法を支える参考人や容疑者が語った言葉を記録したとされる「供述調書」の在り方に強い疑問を突きつけている。日本の刑事司法は、時に「作文調書」とも揶揄(やゆ)される供述調書に依存してきた。今こそ改善すべきだ。
裁判所が捜査実務に警告
容疑者も被害者も、事情を知る参考人や犯行を目撃した証人も、警察署や検察庁に呼び出されて聴取され、「調書」という書類を作成される。これは今も58年前の袴田事件の捜査当時も変わらない。しかも、聴取時には一問一答でのやりとりだとしても、やりとりを記録する調書では、「私は××を見ました」「私は○○を通って帰りました」などと、“一人称”の文章で書かれることが多い。
今回判決が問題としたのは、袴田氏の母親の参考人調書についてだ。ズボンの端切れが捜索によって実家から発見され、死刑判決ではこの端切れが、同氏が犯行時に着ていたズボンの共布だとして、決定的証拠である5点の衣類と同氏を結び付ける役割を担った。
母親は警察での聴取では「(ズボンの端切れは)巌のもの」と供述したと調書に記載されていた。検察官に対する聴取でも、「(巌が実家に送ってきた)段ボール箱の中に(端切れが)入っていたのでしまっておいた。家のものが切ったりなど全然手は付けていない」旨供述したと、調書に記載されていた。まさに5点の衣類と袴田氏を結び付ける強力な証拠だと印象づける内容になっている。
ところが公判に証人として出廷した母親は、「そういったものを私は一度も見ませんでした」「(警察官が)私の前へ見せました」と語り、警察の捜索前から実家に存在していた点に記憶がないと明言したのである。これは5点の衣類と袴田氏を結び付ける端切れの証明力を否定すると同時に、警察が端切れを実家に持ち込んだ可能性を強く疑わせる証言である。無罪判決はそのように解した。だから5点の衣類とともに端切れについても捏造を認定したのだ。
今回、無罪判決は、供述調書について「捜査機関が作成する参考人の供述調書は、宣誓も偽証罪の制裁もなく、捜査の密行性の要請から、非公開の場所で、被告人や弁護人の立ち会いもなく、基本的に捜査機関と供述者のみで作成されたもの」と位置づけ、公判での証言との違いを指摘している。また、「捜査慣行上多用されている一人称の物語風の記載様式の場合、(公判での証言と違って:筆者注)取調官自ら供述者の供述を要約録取した上、問いと答えが明確に分離されていないもの」とその一般的特徴を描写した。
その上で、「このような供述調書のみで、供述者の原供述(聴取時に行った供述のこと:筆者注)がどれだけ正確に表現されているか、取調官の主観によって原供述の取捨選択や解釈に歪曲(わいきょく)が混入していないかなどの証拠の信用性に関する評価を行うのは、甚だ困難」だと調書から心証をとるべきでないと結んだ。
これは袴田氏の母親の問題に限らない。今日まで、広く日本の捜査実務で行き渡っている調書文化に対する警告ともいえる、無視できない問題提起となっている。
理由は「コスト削減」
このような一人称スタイルの供述調書は参考人に限らず、容疑者も被害者でも同じだ。ではなぜ袴田事件当時も今も、一人称作文が使われ続けているのだろうか。
その理由は端的に「コスト削減」にある。
参考人の事情聴取や容疑者の取り調べは当然ながら捜査官の問いと供述者の答えで進められるから、忠実に記録しようとすれば一問一答の調書となるはずだ。だがそうなると、被害状況や犯行状況について事実を法的に構成するためには膨大な時間を要する。例えば、被害者死亡の場合に、殺人となるのか傷害致死となるのかの分かれ目は殺意の有無だが、取調官「殺すつもりでしたか」、容疑者「はい」──といった簡単な受け答えが行われるわ…
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週刊エコノミスト
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