マスミ東京――ふすま事業を「和の文化」ビジネスに転換 大宮知信/10
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ふすまメーカーだったマスミ東京(東京都豊島区)の3代目社長となった横尾靖さん(68)は、書画の掛け軸の仕立て・修復などに事業を転換し、衰退しつつある伝統技術の継承にも挑んでいる。
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「渋谷の中学校にこれを持って行って特別授業をしたんです」
マスミ東京の横尾靖社長は本社ショールームに展示した組み立て式茶室屏風(びょうぶ)を指してこう語る。
江戸時代に利用されていたとされる移動型の組み立て式茶室屏風は、マスミ東京が復活させた商品でもある。内部は3畳の広さで、10分で組み立て可能。1日20万円で貸し出しもしているが、中学校の特別授業はボランティアだ。
元々ふすまを取り扱っていたが、現在は書画の掛け軸や額、屏風などの仕立て・修復、和紙やはけなど表装の道具類、桐箱(きりばこ)などの販売が中心だ。伝統織物を使ったハンカチや財布などの小物も取り扱う。「マスミ道場」と銘打ち、掛け軸や屏風などを仕立てる技術が学べる教室も開く。大英博物館、ルーブル美術館、ボストン美術館など世界各地の名だたるミュージアムに和紙、仕立て用品、桐箱、屏風などを納入している。
ハイテク業界から伝統産業へ
横尾さんは最先端の通信機器を扱う営業マンだった。都内の大学を卒業後、NECに入社。海外事業グループでアフリカを担当し、パラボラアンテナや放送設備などの通信インフラを整備する仕事に従事した。ケニアの放送網を160億円かけて整備するプロジェクトの受注に成功し、33歳で社長賞を受賞した。当時最年少で課長へスピード出世。しかしまもなく転機が訪れる。
妻の実家がふすまのメーカーで創業は1950年。創業の地、和歌山のほか、東京と茨城に工場があり、台湾などにも輸出していた。しかし高度成長とともに住宅が洋風化し、ふすまや障子の需要は減少。義父は「後継者がいないから」と事業の継続をあきらめ、廃業寸前だった。
「アフリカから帰ったときに酒を飲んだ義父が寂しそうでね。『この商売もこれでおしまいだ』と。『伝統文化を守ってきたのにもったいないじゃないですか』と言ったら、『じゃやってくれるか』ということになり」36歳でNECを退職した。
97年にマスミ東京社長に就任したが、ふすまの需要はまさに激減。「正直どうしたらいいのか」途方に暮れた。
海外需要に活路
思わぬところからの需要が転機になった。前職で海外事業を手がけていた関係で親しかった大英博物館の保全部長から「イギリスに来い」と声がかかった。「保存修復の国際会議があって美術館に納めるいろいろな会社が展示をするからね」
掛け軸や表具用品が売れるかどうか、半信半疑でイギリスへ飛んだ。
「会場にぽつんと座ってたら、会議が休憩になるとみんな出てきて、僕のブースに行列するんです。この紙は手に入るのか、もう見本帳はないのかと聞かれて」。日本の紙に需要があることに驚いた。
「世界の美術館のほとんどは日本の和紙を使って修復している。東洋美術はもちろん油絵なども。薄くて強靱(きょうじん)な和紙はいろいろな用途に使えるんです」
帰国後、全国を訪ね歩いてニーズに合う和紙をすい…
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週刊エコノミスト
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