『それでも選挙に行く理由』 評者・将基面貴巳
著者 アダム・プシェヴォスキ(政治学者)訳者 粕谷祐子、山田安珠 白水社 2090円
工作に対してはずる賢さを 民主主義の基本制度を使いこなす
いわゆる民主主義の危機を象徴する事件の中でも、今年1月にアメリカ議会議事堂を暴徒が襲撃した事件はとりわけ衝撃的だった。本書によれば、選挙の本質とは、異なる主義主張を持つ人々の争いを暴力的手段によらず処理する点にあるが、この事件は、その前年の大統領選挙が暴力を封じ込めることに失敗したことを白日のもとに晒(さら)したからである。望ましい選挙とは「競合的」なもの、すなわち選挙民が望むなら政権交代が可能な選挙である。しかし、現政権側にとって選挙に敗北することのコストが大きすぎる場合、選挙はもはや平和的な紛争解決手段として機能しなくなってしまうという。その意味で、選挙は現政権にとって重要でありすぎてはならない。
さらに、選挙は「きれいごとではない」と著者は断じる。現政権の立場からすれば、選挙に際して与党を有利にするための工作の手立てはいくらでも存在するという。官僚制やメディアの操作やカネの活用、反対勢力への抑圧など、不正とは断定し難い操作が政権側には可能である。その結果、選挙によって政権交代が生じることは比較的少ない。しかも、選挙で負ける恐れがなければ、政権が暴走する危険が生じる。そのような政府の下で行われる選挙は、政権交代を可能にするものではなく、被治者をコントロールすることに現政権がどの程度成功しているかを測定する機会に成り下がってしまう。したがって、有権者には、現政権がありとあらゆる工作を行っていることの自覚に立って、現政権に危機感を常に抱かせるよう仕向けるだけのずる賢さが必要であるといえるだろう。
著者は、多くの民主主義国において、政治的対立が代議政治の枠組みからあふれ出し、デモ隊と体制側が街頭で衝突する事態を憂慮する。日本政治の現況はこれと逆である。有権者の多くが無党派層となり、政治的無関心が蔓延(まんえん)し、投票率がせいぜい5割台にとどまる日本では、有権者にとって選挙が重要でなさすぎると言ってもいいかもしれない。選挙という制度に対する不満の一つは、有権者一人ひとりの立場からすれば、選挙の最終結果を自分の1票が左右するという実感を抱けないことにあるであろう。しかし、だからといって棄権することは現政権に対しては暗黙の承認を、次期政権には白紙委任状を与えるに等しい。選挙の実情と可能性について幻想を抱かず、さりとて絶望することもなく、有権者が選挙を上手に使いこなすためにも一読をお勧めしたい好著である。
(将基面貴巳、ニュージーランド・オタゴ大学教授)
Adam Przeworski 1940年ポーランド生まれ。ワルシャワ大学卒業後、シカゴ大学教授等を経て、現在はニューヨーク大学政治学部教授。2010年、「ヨハン・スクデ政治学賞」受賞。