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追悼 中原伸之 元日銀審議委員 量的緩和政策をいち早く主導 森友問題、日銀ETF買いを批判=後藤逸郎
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元日銀審議委員で、デフレ脱却のための量的緩和政策導入を先導した中原伸之氏(86)が11月1日、肺炎のため死去した。
マクロ経済政策や原油市場から、果ては国の在り方に至るまで、生前に取材でお世話になったことを振り返り、故人をしのびたい。
初めて会ったのは、筆者が毎日新聞の日銀キャップだった2006年。中原氏が同年出版した『日銀はだれのものか』を社に送ってこられた。当時の日銀は金融政策の正常化に向けて突き進んでおり、中原氏は「時期尚早」と差し止めようとの思いだった。
東京都生まれ。麻布高校、東京大学経済学部を経て、米ハーバード大学大学院修了後、父親が社長だった東亜燃料工業(現ENEOS)に入社し、自身も社長を務めた。
退任後の1998〜02年に日銀審議委員となった。00年8月の日銀金融政策決定会合では、ゼロ金利解除を急ぐ執行部に数値的根拠がないとして「抽象的」と批判した。その年秋のITバブル崩壊でその後の日銀の量的緩和採用や物価目標の導入に影響を与えた。
安倍晋三元首相とも親交があり、13年からのアベノミクスは、政策ブレーンとして助言した。中原氏に「着信 安倍晋三」と表示された携帯電話の画面を見せられた覚えがある。
06年から景気循環学会会長を努めた。自身の寄付で設立した「日本経済学会・中原賞」の受賞者選考時は口癖のように「若い学者に日の目を当てないと」と繰り返し、空手協会や日本将棋連盟など多方面で活動した。
上皇陛下が天皇在任時の生前退位のお気持ち発言をした際、中原氏は、生前退位に対して「天皇制を否定するものだ」と述べ、「宮内庁長官の更迭を安倍さんに進言した」と色をなした。
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週刊エコノミスト
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