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「日本の経験を誤って解釈した議論を変えたい」=白川前日銀総裁
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インタビュー 白川方明 前日銀総裁 『中央銀行』の英語版を刊行 「日本の経験を誤って解釈した議論を変えたい」
総裁在任中は金融緩和に消極的だと批判を浴びた。2013年に黒田東彦現総裁に代わると日銀は2%インフレ目標を2年以内に実現することを掲げ、異次元金融緩和に突き進んできた。今年8月、英語の著書を刊行した白川方明前日銀総裁は、中央銀行のあり方を考え続けている。
(聞き手=濱條元保・編集部、構成=黒崎亜弓・ジャーナリスト)
3年前、『中央銀行 セントラルバンカーの経験した39年』(東洋経済新報社)刊行の際の本誌インタビューでは、「日本の経済や金融政策についての海外の議論は不正確と感じる」と、英訳刊行への意気込みを語っていた。
今年8月に刊行された『Tumultuous Times(激動の時)』は『中央銀行』の英語版であるが、日本の事情を前提知識の不十分な海外の読者に伝えるために大幅に筆を加えたという改訂版だ。
── なぜ英語版を出したのか。
白川 自分の実体験も踏まえて言うと、日本の金融政策論議はグローバルな論調が変わらない限り、単独で変わることは残念ながら難しいと思っている。そのグローバルな議論は、日本の経験を誤って解釈し、不適切な教訓を導き出している。「日本のようにデフレに陥ってはいけない。だから金融緩和を粘り強く続ける必要がある」と。この議論の現状を変えたい。
── 刊行に至る経緯は。
白川 出版社は自分で開拓するしかないと思い、知人たちに仲介を依頼した。ありがたいことにガイトナー元米財務長官が米エール大学出版会を紹介してくれた。彼との付き合いは在日米国大使館の財政金融担当職員(アタッシェ)であった1990年にさかのぼる。人的ネットワークなしに、英語圏で出版にこぎ着けるのは容易ではない。日本の知の世界におけるグローバル化のハードルを感じる。
議論に変化の兆し
── 『中央銀行』では、現行の金融政策の背景にある主流派経済学への疑問を提起した。この3年で変化はあったのか。
白川 学者の論文や政策当局者の発言を見ていると、変化は感じられる。
サマーズ元米財務長官はこう発言している。「インフレ率を高めるための日銀の大々的な努力が失敗したこと(utter failure)は、これまで自明の公理として扱われてきたことが誤りであったと示唆している。中央銀行は、金融政策でインフレ率をいつも望むように設定できるわけでは必ずしもない」。
英国上院の経済委員会は、私を含め各国の中央銀行関係者や学者から話を聞いたうえで7月に報告書「Quantitative easing: a dangerous addiction? (量的緩和は危険な依存症か)」をまとめた。このまま続けていいのかとの問題提起だ。
ECB(欧州中央銀行)は7月に発表した「金融政策の戦略」の見直しのなかで、金融システム安定が物価安定の前提条件であることを強調しているほか、人口動態がインフレ率の低下要因となっていることも指摘している。私が総裁時代に受けた批判を思い起こすと、論調は徐々にではあるが変わりつつある。
ただ、中央銀行や学界が十分変わったかと言えば、結論として変わったとは思えない。グローバル金融危機後、一時期は主流派マクロ経済学に立脚する金融政策運営を見直す機運も見られたが、現在は先祖返りしている印象を受ける。
── 英上院証言で「私はミルトン・フリードマンの学生だ」と述べている。その趣旨は。
白川 フリードマンの個々の主張に賛成しているという意味ではなく、経済学に対してリスペクトを持っていることを伝えたかった。経済学の有用性を否定する議論にはくみさない。
私はマクロ経済学がどんどん書き換えられていく時期にその中心地のシカゴ大学に留学し、論理的、実証的に経済事象にアプローチする経済学にとても魅力を感じた。ただ年を重ねるにつれ、主流派マクロ経済学の予定調和的な世界観への違和感が大きくなっていった。
理論が間違っていたと主張したいのではない。どんな経済理論も、複雑な現実のすべてを説明することはできない。理論は非本質的な部分を切り捨てて大事な問題に焦点を当てることで成立する。経済・社会は複雑で、最適なルールが出来上がっても、それに人々が適合して行動する結果、そのルールも最適ではなくなる。新たな事態を説明する…
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週刊エコノミスト
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