米金融政策/下 「雇用重視のくびき」から免れない中央銀行のさが 小野亮
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大恐慌で崩壊した「自立の原則」が政府と中央銀行に米国民の過大な期待が集まり、インフレ退治に失敗した教訓を生かせるか。失敗を繰り返すのか──。
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結果的に、インフレ(物価上昇)退治に失敗したバーンズ時代の米連邦準備制度理事会(FRB)だが、インフレの脅威やインフレ期待の重要性に対して鈍感過ぎたわけではない。失敗の原因は、FRBを取り巻く米国社会そのものにあったというのが、アーサー・バーンズ氏の指摘である。
「中央銀行の苦悩」と題した議長退任講演(1979年9月)で、バーンズ氏は次のように述べた。
「(FRBは)30年代以降、米国や他の国々の経済生活を一変させた哲学的・政治的潮流から生まれた強いインフレバイアスにあらがうことができなかった」
バーンズ氏は、「FRBにはインフレを抑える力がない」と考えていたわけではない。その力を持ちながらも、そうしなかったのであり、「FRB自身が、米国の生活と文化を変えつつあった哲学的・政治的潮流に巻き込まれたからだ」。
「雇用法」の重圧
その潮流とは、1929年に始まる大恐慌によって経済秩序が崩壊し、米国社会が建国以来、持ってきた「自立の原則」が破壊されたことで生まれた「連邦政府には従来想定されていたよりもはるかに大きな責任がある」という考え方である。そうした考えは、「雇用を生み出し、不況に備えるというもの」から次第に「有害な競争を制限し、価値のある活動に補助金を与え、市場における力の不均衡を是正する責任へ」と拡大していった。この流れは、第二次世界大戦によって加速した。
「大恐慌の時に連邦政府が失業者を助けるべき存在なのだと説得されたように、そもそも失業を防ぐために政府に期待すべきであることを米国民は教えられた」
44年、ルーズベルト大統領は戦後の国内政策の方針として「経済的権利章典」をまとめ、その筆頭に「有益で報酬のある仕事をする権利」を掲げた。46年には「雇用法」を制定し、連邦政府の責任として「最大限の雇用」を促進することを宣言した。
雇用法は、「最大限の雇用を促進するために(中略)その計画、機能、資源をすべて活用することは、連邦政府の継続的政策であり責任」と定めている。
バーンズ元FRB議長にとって、米政権・議会が定めた経済政策の法的基盤である雇用法は絶対だった。その結果、「66年、69年、74年のように、時には引き締めのブレーキを強く踏むことをいとわなかったが、その引き締めスタンスはインフレを終わらせるほど長くは保てなかった」。
実際、バーンズ氏はインフレ率が高まると引き締めを行ったが、インフレ率が低下するとすぐさま金融緩和に転じ、雇用回復を促そうとした(図)。こうした「ストップ(引き締め)・アンド・ゴー(金融緩和)」政策の下で、人々のインフレ期待は自己増殖的に高まっていった。
不可欠な政策総動員
バーンズ氏は、政府全体によるアプローチでなければ、インフレを抑えることはできないと信じていた。「中央銀行はインフレに終止符を打てると期待するのは幻想」というバーンズ氏の、インフレ退治の処方箋は次の通りだ。
第一に、財政赤字を抑制するための法律改正。第二に、競争を阻害し、不必要にコストと価格を引き上げている規制の撤廃と改革。第三に、インフレ率が大幅に低下するまで金融引き締め政策を支持するという(政府・議会や米国社会全体からの)揺るがない支持。第四に、供給力を向上させるための時限的な法人税減税──の4点である。
物価安定の回復には、政府・議会・中央銀行が一体となって取り組む必要があるというバーン…
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週刊エコノミスト
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