戦後初の円安危機は政府・日銀の未体験ゾーン 金融政策と為替政策がちぐはぐに 窪園博俊
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外為市場で円安に歯止めがかかっていない。10月初旬には一時、1ドル=150円台と昨秋並みの大幅な安値水準に落ち込んだ。本来、円安は「デフレ圧力の緩和」として歓迎されるはずだったが、実際は食料品の高騰など国民生活に大打撃となった。
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円安がこれほどの危機感をもたらすのは、終戦直後の混乱期を除いて戦後では初めてのことだろう。憂慮すべきは、円安を食い止めるべき肝心の「通貨政策」が自己矛盾に陥っていることだ。具体的には、金融政策と為替政策が「相互に効果を打ち消し合っている」(大手邦銀)のだ。
初めて経験する円安苦
昨年来の円安は、為替相場の周期的な変動に伴う一過性のものではない。「日本の国力低下や貿易構造の変化などを受けた基調的なトレンド」(外資系金融機関)と受け止められる。欧米は脱コロナで需要が一気に回復し、インフレが加速。金融政策は積極的に引き締められた。一方、日本は欧米に比べて回復力は弱く、日銀はなお大規模緩和を継続中だ。回復力=国力の相対的な弱さが圧倒的な内外金利差を生み、円安を招いた。
また、貿易収支構造がかつてに比べて一変したことも大きい。日本は長年、輸出で成功し、貿易黒字を稼ぎ続けた。この黒字は、為替市場で恒常的な円買い(ドル売り)圧力となった。ところが、輸出企業がグローバル化で生産拠点を海外にシフト。これに伴って輸出は減少し、10年ほど前から赤字基調となった。為替市場では円売り(ドル買い)圧力が強まった。国力の弱さと貿易赤字は今後も定着すると見込まれ、「為替の潮流は円安になった」(先の大手邦銀)とみられる。
問題は、政府・日銀が本格的な円安と「まともに戦ったことがない」(日銀OB)ことだ。終戦から数年して360円に固定された為替相場は1971年のニクソン・ショックを経て、73年に変動相場制に移行した。以降、日本が苦しんだのは「円高」であり、政府・日銀はその対応に追われた。円高のたびに日銀は金融緩和し、政府は為替介入を重ねた。90年代後半の金融危機時に円安が進んだが、一時的だった。昨年来のように円安に苦しむ事態は初めてのことなのだ。
そし…
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週刊エコノミスト
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