教養・歴史 特別リポート
ノーベル経済学賞のゴールディン教授 賃金の男女格差を経済史から解明 エビデンス絶対主義からの“揺り戻し”的授賞 神林龍
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今年のノーベル経済学賞が米ハーバード大学のクローディア・ゴールディン教授(以下、敬称略)に贈られることになった。同賞選考委員会がゴールディンへの授賞理由として第一に挙げたのは経済史上の貢献である。彼女の専門はよく「経済史・労働経済学」と紹介されるように、当代随一の幅広さがある。日本では、現代日本の男女格差に対するコメントを中心に紹介されたが、彼女の広大な研究領域の筆頭として、委員会は経済史上の貢献を選んだことはまず指摘しておきたい。
いかにも経済史研究
もともと、1980年代まで広く共有されていた男女格差に関する歴史観は、封建制から市民革命や民主化という制度改革や意識変革を経て産業化や近代化が進み、男女平等が実現するという考え方だった。日本でも男女格差の現状を表現するのによく使われる「遅れた」という言葉には、歴史の単線的発展を暗黙の前提としているニュアンスがある。米国の男女間格差の歴史についても例外ではなかったが、ゴールディンはそこに労働経済学の方法論を持ち込んで、市場経済のメカニズムが動いた結果として理解できることを示したところがユニークだった。
資料をよく検討してみると、産業革命前の農業部門の女性の就業率はかなり高く、逆に産業革命後工業の中心が重工業へ移りつつあった1920年代くらいまでは、とくに既婚白人女性の就業率は低かったことがわかった。この発見が驚きをもって迎えられたのは、戦前期の失業率や就業率などの数値を推計することがかなり困難なことと関係している。当時、現在の政府統計にあたるような全国的統計は十分整備されておらず、しかも集計値が統計書や報告書に残されているだけだった。ゴールディンはこれらの残された資料を丹念に調べ、生年別年齢別の集計、つまり世代別推移を算出して世に問うたのである。この結果、どの世代でも既婚女性の就業率は低いが、世代が進むにつれてその世代全体の就業率が上昇していったという、ライフサイクル上の動態と経済発展上の動態を分離してみせることができた。
その過程でゴールディンは、20世紀前半の工業化の組織技術に注目した。当時の新技術が女性を求めたのは事務部門に限定されており、そこでの女性の賃金は農業部門に比して高いが、何よりも読み書きの技能が必要だったと説明する。20年代以降になって女性の就業率は上昇を始めたものの顕著ではなかったのは、新しい教育課程に対応した学校教育を受けた世代の登場を待つ必要があったからで、価格メカニズムと人的資本蓄積によって20世紀初頭の女性の就業状況は包括的に解釈できることになる。もちろんゴールディンは、当時の女性に対す…
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週刊エコノミスト
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