“金=貨幣”だったのは1971年までの100年にすぎない 鎮目雅人
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金は昔から貨幣の材料として使われてきたが、数ある貨幣素材の一つにしかすぎなかった。
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「金=貨幣」という認識が広まったのは、各国政府が自国通貨の価値を金とひもづけた19世紀後半以降のことである。確認されている世界最古の金属貨幣は、起元前7世紀に小アジアのリディアで発行された「エレクトラム」という金銀合金製とされる。ヨーロッパではローマ時代に公定されたデナリウス銀貨とソリドゥス金貨がその後の貨幣単位の基礎となり、銀貨と金貨が並行して使われるようになった。
中国では春秋戦国時代(紀元前8世紀〜同3世紀)にさまざまな形状の青銅(銅と錫(すず)の合金)製の貨幣が造られ、秦による天下統一(紀元前221年)後、円形方孔の「銭貨」が広く用いられるようになった。日本でも7世紀後半以降、律令政府が銭貨を発行し、宮都建設のための資材購入や労賃支払いなどに用いた。
中国では唐代(618〜907年)に金銭が発行され、日本でも奈良時代の760年に金銭(開基勝宝)が発行されたが、これらの金銭がどの程度流通したのかは定かではない。10世紀半ばを最後に日本では銭貨の発行が停止され、平安末期(12世紀後半)から戦国時代(15〜16世紀)にかけて、中国から流入した渡来銭が貨幣として広く流通した。
戦国時代には大名による鉱山開発が活発化し、銭貨に加え金貨や銀貨の使用が本格化した。江戸時代に入ると、幕府は渡来銭の使用を禁止し、金銀銭貨は原則として幕府が発行することとされた。このうち金貨については、「両」を基本単位とし、小判(1両の価値)、二分金(1両の半分の価値)、一分金(1両の4分の1の価値)、二朱金(1両の8分の1の価値)などが使われた。一方、初期に商人が私札を発行したのに続き、諸藩が藩札を発行したほか、さまざまな主体が紙幣を発行した。
英国では18世紀初頭まで主に銀貨が流通していたが、英国政府が金銀の交換比率を公定するにあたって、金貨の価値を市場における実勢価値より高めに設定したため、銀の国外流出と金の国内流入の動きが強まった。その後、英国では主に金貨が流通することとなり、事実上の金本位制が始まった。
ロンドンが金融センターに
金属や穀物、貝などでできた実物貨幣を手渡しするのではなく、帳簿上の資金のやりとり(振替)によって決済する仕組みも生まれた。中世ヨーロッパでは多種多様な金属貨幣が使われていたが、15世紀ごろからは交易の中心地で各種貨幣を独自の計算単位の預金として受け入れ、預金口座間の振替により決済を担う振替銀行が設立された。17世紀に入ると、振替銀行の…
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週刊エコノミスト
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