教養・歴史 物価・金利・円安
自由の獲得を目指した経済学が過剰な所有意識を促して自由を損ねる、という矛盾 水野和夫
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日本に「金利のある世界」が復活して、1991年のバブル崩壊以前の経済社会に回帰するという人がいる。しかし私はいずれゼロ金利、ゼロインフレ、ゼロ成長に戻ると思う。経済成長が本当に人々を幸福にするのか、原点に立ち返って考えてみたい。
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今、日本経済の実力を示す潜在成長率は約0.6%。潜在成長率は、経済に中立的な金利(名目金利-期待インフレ率)と読み替えることができる。これを三つの構成要素に分解すると、労働投入0%、資本投入0%、全要素生産性(TFP)は0.6%。日本は人口減少が始まっており、労働投入は今後マイナス1%を想定する必要がある。設備も過剰な状態から資本投入を0%にすると、今の潜在成長率0.6%を維持するには、TFPを0.6%から1.6%に引き上げなければならない。
IT革命が起きた2000年代以降の米国のTFPは最も高かった00年から07年の期間でさえ実質GDP(国内総生産)成長率を1.3%押し上げただけだ(米労働統計局)。巨大テック企業群であるGAFAMを擁する米国でさえ、この程度の生産性上昇を維持するのが精いっぱいの状況を踏まえると、日本に同じ芸当ができるか。私には多いに疑問だ。
私はもっと根本的なことを問うべきだと思う。つまりTFPの上昇が人々を幸福、そして自由にするのかどうか。その意味で平均寿命をみると、確かに米国でT型フォードが開発されTFPを大きく改善させた当時は延びている。だが、20年のコロナの世界的大流行もあり、米国の平均寿命は短くなった。コロナは米国の格差拡大の現実を露呈させた。
米国では過去40年、所得格差が拡大し続けていた。そこにコロナ禍が襲い対面業務が原則の飲食、サービス業の業績が大きな打撃を受け、そこで働く低賃金労働者の雇用環境が悪化。その一方で、富裕層は株高の恩恵を受け資産価値が増えた。リモートワークが可能なデジタル経済で働く富裕層と、そうではない層との雇用環境にも大きな格差が生じた。
その後、起きたウクライナ戦争やパレスチナ・ガザ地区に対するイスラエルの過度な攻撃で、もっとも被害を受けるのは子どもや…
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週刊エコノミスト
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