脱“東京依存症” 地方都市で知る日本の真の豊かさ 藻谷浩介
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筆者は地方都市に住むため、土地を買った。あくせくしてまで、老後も東京にこだわる必要は絶無だ。
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東京に住んでいないと生活の上で困ることは何だろうか。「持ち家が東京にある」とか「多年住んでいるので友人が集中している」というようなこと以外で、何があるかを考えてみてほしい。
自分の職種は東京にしかないというのであれば仕方ない。だがそういう仕事を東京で見つけている人というのは、ごく例外的ではないだろうか。それに退職者や退職間近の人はどうだろう。
消費環境はどうか。東京でも地方都市でも過疎地でも、どこにでも同じコンビニエンスストアがあり、本でも雑貨でも何でも通信販売で買える。生鮮食品に関しては地方のほうが新鮮で安い。外食についても、コストパフォーマンスはもちろん、最近は味も地方に軍配が上がることが多いだろう。
「地方は医療水準が低い」という話もよく聞く。しかし例えば新型コロナ禍では、東京は大阪などと並んで、人口当たりの死者数が特に多かった。人口が多いほど、緊急時の医療サービスは行き届きにくくなってしまうのだ。日常の病院の混雑具合も東京のほうが深刻だ。2年前に直腸がんになった筆者の知人は、東京の病院で「数カ月待ち」と言われ、急ぎ故郷の北九州市でつてをたどり、すぐに手術を受けて快癒した。介護に関しても、地価や人件費が高い東京よりも地方のほうが、サービスのコスパは高い。
移動はどうか。車を運転する生活なら、地方都市のほうがずっと便利だ。家のガレージも公道も広いし、大型店や病院には無料の平面駐車場があって、しかも空いている。他方で筆者のように車を持たず、なるべく歩いて生活している人に向けても、バスや電車がそれなりに便利で、歩ける範囲に店や病院、それにカーシェアリングサービスもある場所は、何十もの地方都市の中の無数の地点に存在する。
「地方都市は教育環境が良くない」という話も疑問だ。東京の中高一貫校は、ガラパゴス化した日本限定の「名門」である。入ったところで英語がしゃべれるようになるとか、世界に通じるビジネスマインドが身に付くとかいうことは全く期待できない。それどころか今どき男女別の教育を受けていては、男女協働のスキルも身に付かない。
能登地震の被災状況を見て、「過疎地は被災すると大変だ」と言う人がいる。だが仮に東京が同じ規模の揺れを受ければ、被害は破格に大きくなる。被災者や被害建物が多いほど、救援の手も食料などの物資も行き届かない。被災者全員分の避難所や仮設トイレを設けるのも至難の業だ。しかも東京は地震だけではなく、富士山噴火や荒川・利根川水系の洪水というリスクも抱えている。人口密度が高いほど、天災に対しては脆弱(ぜいじゃく)になるのだ。
「東京依存症」で失うもの
困りごとの反対に、楽しみはどうだろう。東京に住んでいないと享受が難しい楽しみはあるだろうか。
「東京に住んで、渋谷や原宿を歩きたい」という地方の女子大生に会った。だが地方から出向くからこそ、気分が高揚するのである。近くに住むとかえって、歩いてもさほどの興奮を味わうことはできなくなってしまう。
他方で東京では、野外活動全般の享受に著しいコストがかかる。バーベキューやたき火や花火や家庭菜園づくりを庭先でできる家は、都内には非常に少ない。天体観測、ゴルフやスキー、釣りにマリンレジャーに川遊び、ハイキングにサイクリング、山菜狩りにキノコ狩りに潮干狩り、いずれも遠くまで出向かないと楽しめない。部屋から海や山並みや清流を眺める暮らしも難しい。車が趣味なら、駐車場所や作業場所の確…
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週刊エコノミスト
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