教養・歴史 宇沢弘文没後10年
多様な学者が論じる「社会的共通資本」 佐々木実/浜條元保
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経済学者・宇沢弘文が亡くなって今年9月18日で10年になる。その節目に「宇沢弘文没後10年記念シンポジウム」が8月24日、学習院大学で開催された。第一線で活躍する経済学者が参集し、米国から帰国した宇沢が精力的に取り組んだ「社会的共通資本」の概念と理論についてさまざまな角度から活発な議論が行われ、会場とオンラインに集った約600人が熱心に聞き入った。
600人参加で7時間に及んだ記念シンポ
「父の本丸である経済学に切り込む、このような会ができましたことを、本当にありがたく思っております」
主催した宇沢国際学館の占部まり代表(宇沢の長女)の開会の辞で、7時間に及ぶシンポジウムの幕が開いた。
最初のプログラムは「社会的共通資本理論の再検討」。登壇者の宮川努学習院大学教授、浅子和美一橋大学名誉教授は、いずれも宇沢の薫陶を受けている。「教え子の中で一番長く、昼夜問わず教えを受けた経済学者」と、宮川が浅子を紹介すると、浅子が宇沢ゼミの思い出話から始めた。
「テキストはケインズの『一般理論』だったが、50ページ進んだかどうか。テキストを読み進めるより、宇沢先生が関心のあることを話されていた」
夕方になると場所を移し、宇沢がこよなく愛したビールを飲みながら講義が続く。それが宇沢ゼミの日常だった。「ゼミで展開される社会的共通資本の話に知らず知らずのうちに引き込まれ、そのモデル分析に興味を持つようになった」
宇沢のモデル分析を紹介
浅子は日本を代表するマクロ経済学者だが、一方で、社会的共通資本理論を補強する業績も上げている。この日に披露したのは、「開放経済の最適環境税─生産地主義vs消費地主義」という論文だ。
宇沢が1972年に発表した社会的共通資本の混雑現象を考察した分析モデルを拡張した浅子版の分析モデルである。
宇沢は、先進国と発展途上国の経済格差を常に念頭に置いていた。例えば、地球温暖化対策では、1人当たり国民所得に比例する比例的炭素税を提唱した。
浅子論文も宇沢の規範的分析に倣い、「国内の消費量をあたかも自国で生産しているように考え、その場合に対応する限界的社会費用に等しくなるよう環境税率を決めてやればよい」との結論を導いている。
つまり、環境負荷を海外に転嫁するような経済活動を抑止する環境税のあり方を示しているわけだ。
浅子のモデル分析とは対照的に、宮川は自らが取り組んでいる実証研究を紹介した。
宇沢理論の実証研究
宇沢は、社会的共通資本を自然資本、社会資本、制度資本に分類し、市場経済の安定性などに与える影響を分析した。宮川によれば、現在、国連なども採用するようになっている「資本アプローチ」と呼ばれる経済理論の先駆が宇沢理論である。
「資本アプローチ」は、自然資本、人工資本、人的資本という「包括的な富」の状態を把握することで社会の持続可能性や安定性を調べる。GDP(国内総生産)のようなフローの指標ではなく、生産基盤の最も基底にある自然資本などのストックを分析するための経済学だ。「包括的な富」(自然資本、人工資本、人的資本)が社会的共通資本(自然資本、社会資本、制度資本)にほぼ対応していることは一目瞭然だろう。
日本ではほとんど関心を持たれていないが、国際的には、「資本アプローチ」は理論から実証研究へと進んでいる。宮川は、社会的共通資本の考えも実践段階に入ったとの認識のもと、社会的共通資本の計量化に取り組んでいることを報告した。
以後のプログラムでも、社会的共通資本をめぐる興味深い討議が続いた。テーマと登壇者を列挙すると、「宇沢弘文の数学」(安田洋祐〈大阪大学教授〉×小島寛之〈帝京大学特任教授〉)、「『定常型社会』と『資本主義の新しい形』」(広井良典〈京都大学教授〉×諸富徹〈京都大学教授〉×松下和夫〈京都大学名誉教授〉)、「21世紀のコモンズ論」(三俣学〈同志社大学教授〉×茂木愛一郎〈元日本開発銀行〉)
経済学に明るい読者なら、これほど多様な研究者が「宇沢弘文」の名のもとで一堂に会したこと自体に驚くかもしれない。
恩師への「40年後の返答」
シンポジウム終盤では、「宇沢弘文追悼ビデオメッセージ」も上映された。2014年11月に学士会館で催された「お別れの会」で上映された映像だ。宇沢の盟友であるケネス・アロー、ロバート・ソロー、ジョセフ・スティグリッツ、ジョー…
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週刊エコノミスト
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