教養・歴史 宇沢弘文没後10年
21世紀の経済学を構築した知識人「ヒロ・ウザワ」 佐々木実
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米国経済学界で活躍していた宇沢弘文は、ベトナム戦争に異を唱えて帰国。公害や環境問題に取り組みながら独自に打ち立てた経済理論が没後10年にして注目されている。
“知識人”としての経済学者
20世紀の経済学(新古典派経済学)の理論にもっとも貢献した日本人は誰だろうか? 真っ先に挙がる名が宇沢弘文だろう。一般均衡理論、数理計画法、消費理論、生産理論、そして「Hiro Uzawa」を世界に知らしめた宇沢二部門モデルや最適成長理論──驚くべき広範な領域で宇沢は世界的な業績を上げている。
「数理経済学の最先端で活躍して、あそこまで尊敬された経済学者は日本人では後にも先にも宇沢さん以外にはいない」。スタンフォード大学教授だった故青木昌彦はそう評したけれども、実際、比較しうる影響力をもった日本人経済学者はいない。シカゴ大学で宇沢が主宰した研究会のメンバーから、続々とノーベル経済学賞受賞者が誕生したことが何よりの証拠だろう。宇沢の薫陶を受けた経済学者を挙げれば、ジョセフ・スティグリッツ、ジョージ・アカロフ、ロバート・ルーカス、ウィリアム・ノードハウスなどなどである。
アカロフにインタビューした際、ペンローズ効果を定式化した宇沢の投資理論に言及しながら、いかにHiroが優れた理論家だったか、興奮気味にまくしたてたものだった。彼は、シカゴ大学での宇沢ワークショップの思い出を懐かしそうに話したあと、「Hiroはわれわれ全員の父親でしたよ」と語っていた。一時期の理論経済学を担うほどの存在感を、たしかに宇沢はもっていた。
ところが、2014年9月18日に宇沢が世を去ったあと、日本の経済学界は奇妙な沈黙を守りつづけてきた。“宇沢経済学”への評価はいまだ定まらないのである。それは、宇沢が経済学者として歩んだ道がけっして平坦(へいたん)ではなかったことを物語っている。
ケネス・アローが見いだす
東京大学数学科で将来を嘱望された宇沢は、特別研究生として大学院に進んだ。しかし、マルクス経済学に感化されて途中でみずから退学、経済学者への転身をはかった。世界の数理経済学をリードしていたケネス・アローに才能を見いだされたのが1956年で、宇沢が28歳のときである。
スタンフォード大学でアローと共同研究を始めるとたちまち頭角を現し、ポール・サミュエルソン、ロバート・ソローなど、当時の新進気鋭の理論家たちに高く評価され、米国経済学界の中枢メンバーに迎え入れられた。
弱冠35歳でシカゴ大学経済学部の教授に就任すると、前述したように宇沢ワークショップで理論経済学者に多大な影響を与えた。だが、経済学界での評価が高まる一方だったそのとき、宇沢は唐突に米国を去る。原因はベトナム戦争だった。
米国が65年から73年までにインドシナ半島に投下した爆弾の量は1400万トンを超える。第二次世界大戦で使用された爆弾の2倍を超える量の爆弾がベトナムに投下された計算になる。ベトナム戦争は結局、米国の敗戦で幕が引かれたが、ベトナム側の戦死傷者は300万人に迫り、1000万人近い難民が生まれた(松岡完『ベトナム戦争』〈中公新書〉)。
ベトナム戦争が激化する前から、宇沢は米国の介入に批判的だった。超大国がアジアの一小国にジェノサイド(大量殺戮(さつりく))と形容せざるをえない攻撃を仕掛けたことに対して、満腔(まんこう)の怒りを表明していた。見知らぬわけではない著名な経済学者が米国の軍事行動に深く関与していることに衝撃を受けた。反戦運動にも参加していた宇沢が、シカゴ大学から東京大学へ移籍したのは、不惑の歳を迎える68年である。
経済学者の社会的役割
世界屈指の数理経済学者として米国で活躍した宇沢を「前期宇沢」と呼ぶなら、「後期宇沢」は水俣病など4大公害病に象徴される公害問題に取り組むことからスタートした。「社会的共通資本」の分析に基づく環境経済学の構築に向けた最初の成果が、ベストセラーとなって世論を動かした『自動車の社会的費用』(岩波新書、1974年)である。
「後期宇沢」は、知識人としての社会的な役割を引き受けることを信条とした。『知識人とは何か』(平凡社)で、エドワード・サイードが知識人を定義している。
「政府から企業にいたる大組織のもつ強大な権力と、個人のみならず従属的位置にあるとみなされる人たち──マイノリティ集団、小規模集団、小国家、劣等もしくは弱小な文化や人種とみなされるものに属している人たち──が耐えている相対的に弱い立場とのあいだには、内的な不均衡が存在している。こうした状況のなかで知識人が、弱い者、表象=代弁(レプリゼント)されない者たちと同じ側にたつことは、わたしにとっては疑問の余地のないことである」「わたしが使う意味でいう知識人とは、その根底において、けっして調停者でもなければコンセンサス作成…
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週刊エコノミスト
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