多国間の貿易協定を骨抜きにした「道具主義」は必要悪なのか 平見健太
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戦前の経済ブロック化の反省から形成された通商秩序。機能不全となった歴史を追うと、通商ルールで利益確保を目指す「道具主義」の存在に行きつく。
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通商秩序は繰り返し危機に見舞われてきた。そして今日、再び混迷を深めている。本稿では国際社会における通商秩序の歴史を「道具主義」の視点から眺めることにより、危機をもたらした要因について示唆を得てみたい。
そもそも道具主義とは、ある考え方や制度の価値は、それらが問題の解決にとってどれほど有用であるかによって決まる、という思考様式をいい、手段としての有用性で物事の価値を測る姿勢を意味する。もちろん、通商秩序を形作る条約を含め、およそ法は、何らかの目的を実現し、あるいは問題を解決する役割を担うものである以上、その裏に一定程度の道具主義的傾向を秘めているのは当然である。
しかし、法分野における道具主義の過剰は、法そのものを危機に陥れる。法が目の前にある問題解決の手段に過ぎないとすれば、そうした手段としての有用性に疑義が生じた場合にはいつでも、法以外の手段で対応してもよいという発想が生まれ、周囲もそれをやむなしと捉える風潮が蔓延(まんえん)するからである。
国際通商の分野では、このような道具主義的思考が極端な形で発現し、その結果として通商秩序そのものが揺らいだ例があった。そうした事例のうち、1970〜80年代と現代の二つの時期に着目し、道具主義と通商秩序の関係をみてみたい。
形骸化したGATT
戦間期のブロック経済に対する反省から、米英を中心とする諸国が関税貿易一般協定(GATT)を生み出した。第二次世界大戦以前の通商秩序が2国間通商条約の束として存在していたのとは対照的に、GATTは多数国間条約にもとづくルールの体系であり、条約当事国は同一のルールのもとで一律の規律に服する点で、はるかに安定的な法秩序であった。
実際、GATTは47年の成立以来、95年に世界貿易機関(WTO)に改組されるまで通商秩序の要として機能したが、その一方で70〜80年代にかけてはルールの実効性が著しく低下し、形骸化が指摘されるほどであった。こうした形骸化をもたらした主な要因は、米国による一方的措置の乱用であった。
米国は元来、自国の通商法をGATTルールに反映させるかたちで秩序形成を主導し、その結果、GATTの内容も米国の意向を反映するところが少なくなかった。つまり、GATTは国際通商関係に法の支配を導入すると同時に、当時圧倒的な経済力を誇った米国の利益を確保する手段として機能することも期待されたのである。
ところが、60年代後半から顕在化し始めた米国の競争力低下が、米国の態度を変化させた。すなわち、従前の米国は自由競争の利益を享受する立場にあったが、外国経済の成長により米国産業は次第にその優位性を失い、米国の通商政策も保護主義に傾いていった。しかし、GATTルールはそうした保護主義政策を禁じているところ、米国は自ら主導して作り上げたルールに苦しめられる事態に直面したのである。
他の多くの法分野であれば、こうした場…
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週刊エコノミスト
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