ロシア支配のウラン濃縮市場 次世代炉用の核燃料に西側の思惑交錯 小林祐喜
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原子炉用燃料のためのウラン濃縮技術を巡っては、軍事転用する動きも顕在化している。イランや北朝鮮だ。
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原子力発電は日本をはじめ天然資源を輸入に頼る国にとって、電力の安定供給、エネルギー安全保障を確立する一つの手段とみなされてきた。さらには、二酸化炭素(CO₂)の排出量を実質ゼロにする「カーボンニュートラル」を実現するための脱炭素電源としても期待されている。
しかし、原子力は「純国産エネルギー」ではない。原子炉用の燃料製造には「ウラン濃縮」と呼ばれる工程が必要であり、その国際動向は日本を含む各国の原子力政策に影響を与えてきた。小型モジュール炉(SMR)など次世代炉向けの新たなウラン濃縮技術を巡る国際競争が始まろうとしている一方、濃縮技術の核兵器への転用が顕在化する今、ウラン濃縮の歴史を振り返り、日本が今後、原子力とどのように関わるべきかを考察する。
天然ウランは、核分裂して膨大な熱エネルギーを放出するウラン235の含有量がわずか0.7%であり、残りは核分裂しないウラン238で構成される。そのため、原子炉用燃料を製造するには、ウラン235を238から分離し、その割合を3~5%にまで濃縮する加工が必要である。このウラン濃縮市場を支配することが、原子力利用の国際的な主導権を握ることにつながる。現在はロシアが世界シェアの50%近くを占めている(図)。
戦後、ウラン濃縮市場を支配したのは、原子力の軍事利用で世界に先駆けた米国、ソ連(当時)だった。米国は1953年、アイゼンハワー大統領の国連演説「原子力を平和のために(Atoms for Peace)」の下、西側諸国への低濃縮ウラン供給を一手に担うとともに、核物質や原子力技術の移転を厳しく管理した。日本も55年に締結した日米原子力研究協定を皮切りに、協力協定に移行した後も米国の管理を受けてきた。
ロスアトムがトップ奪還
70年代に入ると、西欧諸国は米国依存からの脱却と原子力政策の自立を掲げ、英国、ドイツ、オランダの連合企業体として「ウレンコ」を設立し、独自にウラン濃縮を始めた。この際、米国のガス拡散法に対抗し、より電力消費が少ない遠心分離機を用いた新たな手法を取り入れた。これが奏功し、90年代以降、世界シェアを拡大してトップに君臨した。
一方、米国は冷戦終結後、「米露高濃縮ウラン協定」により、民主化支援の一環として、ロシアの解体核弾頭から回収された高濃縮ウランを低濃縮ウランに転換し、米国内の商業用原子炉で使用した。そのため、ウラン濃縮における国際競争力を喪失し、ロシア依存が強まった。
2000年以降、ウラン濃縮の国際動向は複雑さを増している。旧ソ連時代のチェルノブイリ原発事故(86年)とソ連解体後の混乱により、原子力事業が停滞していたロシアは07年、原子力業界を再編成、集約する形で国策原…
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週刊エコノミスト
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