日産の復活劇「ゴーン改革」の光と影 河村靖史
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外資による名門自動車メーカーの再建劇には、しがらみのない改革の成果が上がる一方で、独裁体制による負の遺産を残した。
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グローバルな産業である自動車業界では、業績悪化や財務体質が脆弱(ぜいじゃく)な自動車メーカーは常に外資による出資の脅威にさらされている。古くはゼネラル・モーターズ(GM)の傘下に入ったいすゞ自動車、フォード・モーター傘下となったマツダなどだ。同業の外資系自動車メーカーが日系自動車メーカーを傘下に収めた代表例がルノーによる日産自動車への出資だ。
日産は1990年代後半、バブル経済崩壊に伴う新車販売の不振や、過去の大型投資が足かせとなって業績不振が続いた。91年に6.6%あったグローバルシェアは98年には4.9%にまで低下した。有利子負債が2兆円を超えて「倒産寸前」といわれ、経営再建には他の自動車メーカーの支援が必要不可欠な状況にまで追い込まれていた。
「弱者連合」
日産は当初、ダイムラー・クライスラー(現メルセデス・ベンツ)と出資交渉していた。しかし、ダイムラーは日産の財政状態が想定していたよりも悪いことから、一方的に提携交渉を打ち切った。そこに救世主として登場したのが、規模拡大に向けてアライアンス(提携)相手を探していたルノーだ。
ルノーを逃すと「倒産」が現実的になる可能性が高い日産はルノーの出資の申し出を受け入れ、99年にルノーは日産に5857億円、36.8%出資して事実上、傘下に収めた。販売台数や売上高、参入している市場、モデル数など、あらゆる面で日産はルノーを上回っており、両社の提携は当時「弱者連合」と呼ばれた。
ルノーが日産の経営再建のために送り込んだのが「コストカッター」の異名を持ち、不採算だったルノーのベルギー工場を閉鎖するなど、業績向上に手腕を発揮したカルロス・ゴーン上席副社長(当時)だ。日産の最高執行責任者(COO)となったゴーン氏は短期間で再建計画「日産リバイバルプラン」を策定したが、その内容は取引先の関係者にも熾烈(しれつ)だった。
日産は長年、関係の密な部品メーカーで構成する「系列」を抱えてきた。部品メーカーは日産の値引き要請などに応じる代わりに長期的な部品購買が約束され、日産からの出資や、人材を役員として受け入れてきた。この結果、購買部門とサプライヤーの関係がなれ合いになり、これが日産の新車の粗利が低い原因だった。
ゴーン氏はここにメスを入れた。購買戦略では3年間でコストを20%削減する目標を設定し、1145社あった取引先サプライヤーをほぼ半減の600社に絞り込む。日産が保有する取引先の株…
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週刊エコノミスト
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