同期が語る石川経夫「新古典派理論に対抗した同志だった」岩井克人・神奈川大学特別招聘教授
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大学や大学院で同期の岩井克人氏、奥野正寛氏、橘木俊詔氏。先輩の八田達夫氏。後輩の吉川洋氏。愛弟子の玄田有史氏。6人それぞれが経済学者として、また、一人の人間としての石川経夫を熱く語る。(聞き手=佐々木実・ジャーナリスト/浜條元保・編集部)
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岩井克人(いわい・かつひと) 1947年生まれ。東京大学経済学部卒、マサチューセッツ工科大学博士。専攻はマクロ経済学。東京大学教授、国際基督教大学特別招聘教授など歴任。著書に『ヴェニスの商人の資本論』『貨幣論』など。
石川経夫君は東京教育大(現筑波大)付属高校の同窓生だが、親しくなったのは東大経済学部で小宮隆太郎先生のゼミに入ってから。当時の経済学部はマルクス経済学の牙城で、近代経済学(新古典派やケインズ理論)を研究しようとする学生は少数だった。
私も最初はマルクス経済学を勉強したが失望し、経済学を続けようか悩む中、根岸隆先生の「近代経済学」の講義に感銘したのが転機になった。大学3年の1968年、宇沢弘文先生がシカゴ大学から東大に移ってきた。講義は最先端の成長理論で、最後まで受講し続けた数えるほどの学生の中に、石川君、私、そして奥野正寛君がいた。講義を受ける中で3人は親しくなり、その後の大学紛争で大学が閉鎖され、宇沢先生が学外で主催した研究会に参加させてもらい、経済学研究を続ける気持ちが固まった。ただ最初は皆、宇沢成長論の物まねばかりしていた。
父親に持った劣等感
石川君は驚くほど真面目な人間だった。父親は、日本において経済発展論を築き上げた石川滋先生で、データの乏しい時代に中国経済を丹念に調べる研究などをした。石川君は父親に劣等感を持っており、「父は毎日、夕食が終わるとすぐ自分の部屋に籠もって研究を夜遅くまで続けていた」と話していた。親しくなった時、これほど勉強する人間がいるのかと驚いたが、そんな彼か…
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週刊エコノミスト
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