同期が語る石川経夫「石川君は学生運動、私は闘争激化回避にあがいた」奥野正寛・東京大学名誉教授
有料記事
大学や大学院で同期の岩井克人氏、奥野正寛氏、橘木俊詔氏。先輩の八田達夫氏。後輩の吉川洋氏。愛弟子の玄田有史氏。6人それぞれが経済学者として、また、一人の人間としての石川経夫を熱く語る。(聞き手=佐々木実・ジャーナリスト/浜條元保・編集部)
>>特集「よみがえる石川経夫」はこちら
奥野正寛(おくの・まさひろ) 1947年生まれ。69年東京大学経済学部卒、74年にスタンフォード大学博士。専攻はミクロ経済学、ゲーム理論。東京大学教授、武蔵野大学教授などを歴任。著書に『ミクロ経済学入門』、『産業政策の経済分析』(共著)など。
大学時代の石川経夫君で思い出すのは、東大紛争だ。1968年1月に医学部で登録医制度反対の無期限ストが起き、6月には学生らが安田講堂を封鎖、大学当局が警察を導入して排除したことに反発して東大紛争は全学に拡大した。
紛争の発火点は、実は医学部だけでなく経済大学院にもあった。私たちが4年生だった68年6月、大学院では助手問題をめぐってストが決行された。同期では私と石川君、岩井克人君、篠原総一君の4人が大学院への進学を目指していて、面接を6月末に控えていた。経済学部のストを受け、私ら4人は面接試験を受けるべきかどうか相談した。石川君と私が「ボイコットしよう」と提案し、結局、学生側が大学院入試をボイコットしたため、この年度の経済大学院の入試は中止された。
翌69年1月10日、秩父宮ラグビー場での7学部集会で確認書が交わされ、学生と大学側で手打ちが行われるのだが、最後までスト解除に反対した全共闘のシンパ20〜30人が無人のグラウンドでシュプレヒコールを叫びながら抗議運動を行った。その中に石川君の姿があった。
東大紛争では、石川君は教室に泊まり込んで運動をしたりしていたので、全共闘に(私たちとは比較できないほどの)強い共感を持ったシンパだったと思う。同じ高校から経済学部に進ん…
残り1025文字(全文1825文字)
週刊エコノミスト
週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める