後輩が語る石川経夫「ピケティ同様に注目されていい経済学者」吉川洋・東京大学名誉教授
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大学や大学院で同期の岩井克人氏、奥野正寛氏、橘木俊詔氏。先輩の八田達夫氏。後輩の吉川洋氏。愛弟子の玄田有史氏。6人それぞれが経済学者として、また、一人の人間としての石川経夫を熱く語る。(聞き手=佐々木実・ジャーナリスト/浜條元保・編集部)
吉川洋(よしかわ・ひろし) 1951年生まれ。東京大学経済学部卒、エール大学博士。専攻はマクロ経済学。東京大学教授、立正大学学長など歴任。『日本経済とマクロ経済学』(東洋経済新報社)で92年度エコノミスト賞受賞。
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石川経夫という名前を初めて目にしたのは、私が大学3年生の時。宇沢弘文先生から手渡された卒業生の英語論文の中に「Ishikawa」の名があった。成長理論に関する論文だったと思うが、あまりのレベルの高さに、「本当に大学4年生が書いた論文なのか」と驚いてしまった。
初めてお目にかかるのは私がエール大学に留学してからで、青木昌彦さんのアパートでお会いした。当時、石川さんはハーバード大学の助教授。1970年代前半はベトナム戦争が泥沼化した時期で、米国では優秀な若手の経済学者が主流派経済学を否定する動きが起きていた。
「ラディカル・エコノミクス」を唱えるグループの拠点がハーバード大学で、助教授だったサミュエル・ボウルズとハーバート・ギンタスはテニュア(終身在職権)がとれずに追い出され、テニュア取得後にラディカル・エコノミストになったスティーブン・マーグリンは大学に残ることができた。
ただし、石川さんが分配問題や労働市場の二重構造問題などに強い関心を持ったのは、父親である石川滋先生の影響が大きいのではないかと思う。
当時の一橋大学では、大川一司教授を中心とするグループが戦後の労働市場の二重構造問題、つまり大企業と中小企業の格差などを研究し、戦前のジニ係数を求めるなど大きな業績を上げた。父親をとても尊敬してい…
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週刊エコノミスト
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