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悪には悪の存在理由がある 大沢在昌、サンデー毎日連載小説『悪魔には悪魔を』刊行記念インタビュー

    『悪魔には悪魔を』表紙
    『悪魔には悪魔を』表紙

     失踪した麻薬取締官の兄になりすまし、双子の弟が凶悪な密売組織に潜入する―。迫真の追跡劇を描いた『悪魔には悪魔を』は個性的な登場人物たちが繰り広げる濃密なアンダーカバー(潜入捜査)ミステリーだ。最新作への思いや読みどころについて著者に聞いた。

    ――双子の兄弟と潜入捜査の組み合わせが印象的です。

     双子というのはよくある設定なので、そこに潜入捜査のストーリーをからめてみようと、いわば思いつきで書き始めたわけですが、思わぬ結末になりましたね。この小説について話すのは難しいな。話せば話すほどネタバレになる(笑)。

     以前、多国籍犯罪組織に潜入するというスケールの大きい話も書いたことがあるけど、本作では対照的に、東京・六本木エリアで力を持ち始めた新興の密売組織を描きました。組織といっても暴力団のような明確な姿を持つのではなく、正体を明かさずに、こぎれいな商売をする現代風の連中というのかな。

     限られた場所のこぢんまりとした世界を舞台にすることで、登場人物で読ませる小説になりました。

    ――売人たちやそれを追う取締官も個性的な人物ばかりです。

    (主人公の)将はアンダーカバーとして悪の側に入っていくわけだけど、深く入るほど、正義と悪の境界が揺らいでいくのが面白いですね。この作品ではとくに、その揺らぎを感じてもらえるかもしれません。

     悪の側の人間たちがまったくの悪であると言い切れないのは、彼らにもそこに生きる理由があるからです。

     私はいつも、悪には悪の存在理由があるという書き方をしています。かんたんに善と悪が分かれているのではない、正義でも悪でもない視点で描いていくと、人物が立体的になる感じがしますね。

     将は瀬戸内の小さな島で生まれて、若い時にアメリカに行ったので麻薬取締官になった兄貴のことも、東京のこともほとんど知りません。20年間、日本を離れていた彼の目に映る風景は、われわれの知るものとはまるで違います。

    ――見知らぬ都会で兄になりかわるわけですね。

     外部の人間であるうえに、「居抜き」の形で兄をとりまく濃密な人間関係の中に入っていく。そこにはうまいカレーを食わせるバーがあり、仲のよいマスターがいたり、自分を慕う若い売人や恋人もいて、なりすましていることを知らない捜査官もいる。正体がばれないようにふるまうには、いささか難易度の高いシチュエーションですが(笑)。彼はつかの間、兄の人生の一部になって、20年という不在の時間をもう一度生き直すわけです。

    「アンダーカバーにはアンダーカバーなりの楽しみがある」というのは、作中の台詞(せりふ)ですが、二つの人生を生きるという意味では特異な体験でしょう。むろん命がかかっているので楽しいとは言い切れないだろうけど。

     今回は、あまり「ドンパチ」をやろうとは思わなかったんです。元米兵の将は無敵かもしれませんが、そういう話にはしたくなかった。登場するのは不穏な人物ばかりですが、限られた場所の濃厚な人間関係を描いた私なりの「人情もの」なのかもしれませんね。

    手触りのあるリアルな人間を描く

    ――将が不在の間、日本もずいぶん変わりました。

     私はエトランゼ(異邦人)の視線で小説を書くのが好きです。ずっと中にいると気づかないことってあるでしょう。ふいに訪れた外部の人間にしか見えないものがあります。将というエトランゼの視点で、見えない変化を描き出したかった。

     20年という年月は長いのか短いのか、震災や今回のコロナもそうでしょうけど、いろいろあったわけですが、日本の中にずっといて、とくに東京にいると、見かけの変化に目を奪われがちです。外国人の姿が増えたとか、新しいビルが建ったとか、気づくのはそういうものばかりです。

     日本はまだアメリカよりもはるかに安全で、日本らしい豊かさも残っているはずです。それでも将はいまの東京を見て、自分がよく知っているアメリカに近いと感じたでしょう。将が不在の間、何が起きたかというと、われわれが考える以上に日本社会のアメリカ化がすすんだということでしょうね。

     日本という国は宙ぶらりんの中で平和を保ってきたわけだけど、これからはそれが通用しない。中立を世界が許さないというふうになってきている。あまりいいことだとは思いませんが。周囲を見ても、失敗した者を攻撃する風潮が目立ってきたり、中庸を許さない社会になり始めている気がします。

     時代の歯車はいつもゆっくりと回っていて、最後の90度だけはぐんと回る。そんなふうに思います。気づいていないだけで、変化はいつも起きている。今がどの段階かはわからないけど、見過ごしているものはまだたくさんありそうです。

    ――この数十年で犯罪の様相も変化した気がします。

     どうなんでしょうね。変化しているのは「外箱」だけで、中身は同じだと思いますよ。いま問題のフィッシング詐欺にしろ、システムは最新だけど、最後はやっぱり「現金(げんなま)持ってこい」の世界でしょう。手口はどうであれ、犯罪はフィジカルなものです。最近、私のところにも頻繁に怪しいメールが届くようになった(笑)。これにひっかかる人間も一定数いるのだから、なくならないよね。

     以前、ナイジェリアン・レターという国際的な詐欺事件がありました。ナイジェリアの族長を名乗る人物から莫大(ばくだい)な隠し財産を動かすための手数料を援助してほしいという手紙が届く。要求は数ドル程度で、お返しに高額の謝礼がもらえるという話。世界中の小金持ちがずいぶん騙(だま)されたそうです。手紙が電子メールになっただけで、フィッシング詐欺の原型ですよね。

     犯罪というのは時代ごとに姿を変えるけれど、外箱だけを書いてもつまらない。描こうとしているのはいつもその中身です。作家は手触りのあるリアルな人間を書き続けるしかありません。

    おおさわ・ありまさ

     1956年生まれ。愛知県名古屋市出身。79年『感傷の街角』で小説推理新人賞を受賞しデビュー。91年『新宿鮫』で吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞長編部門を受賞。94年『無間人形 新宿鮫Ⅳ』で直木賞。2001年『心では重すぎる』、02年『闇先案内人』、06年『狼花 新宿鮫Ⅸ』、12年『絆回廊 新宿鮫Ⅹ』で日本冒険小説協会大賞を受賞。04年『パンドラ・アイランド』で柴田錬三郎賞、10年に日本ミステリー文学大賞、14年に『海と月の迷路』で吉川英治文学賞を受賞。近著に『爆身』『漂砂の塔』『帰去来』『暗約領域 新宿鮫Ⅺ』『冬の狩人』など

     4月20日発売の「サンデー毎日5月2日号」は、大沢在昌さんのインタビューのほかに、「古賀茂明元経産官僚が直撃 官僚たちよ!忖度の奴隷解放宣言」「玉木正之、増島みどり、山本浩が独断厳選 日本スポーツ界の3大偉業 松山英樹は?」「本当にそれで安心?しなくていい終活 ▽葬式も墓も要らないから」などの記事も掲載しています。

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