週刊エコノミスト Online サンデー毎日
追悼 田中邦衛「ちぃせえ男」を演じ続けた名優
「オレは、大きくて存在感があるってのが似合わない。ちぃせえ男は似合う」(『サイゾー』2003年9月号)と、かつて彼は語った。劣等感に苛(さいな)まれ、世間と折り合いをつけられない男を唯一無二の存在感で演じ続けた俳優、田中邦衛が3月24日、88歳で老衰のために逝去した。
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「肉体の衰えを見せたくない」、特に「(『北の国から』の)五郎のイメージが壊れないように、なるべく映画出演は控えている」(『北海道新聞』12年11月9日)と語ってから9年、映画やドラマのオファーを一切断り、自宅や施設で黙々とリハビリを続けたところに職人俳優としての矜持(きょうじ)があった。88歳という年齢は男性としては長寿だが、老衰という死因には胸を衝(つ)かれる。なぜなら田中邦衛は技術ではなく肉体の俳優だったからだ。彼が出ると、画面から汗や体臭が匂い立つのだ。
50代の頃、友人と待ち合わせるために新橋駅前のロータリーでキャップを目深にかぶり座っていると、「日雇い労働の口があるよ」と勧誘されたように、『若者たち』の建築現場の作業員、『激動の昭和史 沖縄決戦』の床屋、『学校』の夜間学校で勉強する50代の肉体労働者、『みんなのいえ』の大工の棟梁(とうりょう)など、田中邦衛には汗水たらして働く労働者や腕一本で世間を渡る職人が似合った。
1932年、岐阜県の美濃焼の窯元の家に生まれ、勉強もできず、運動にも優れず、不良にもなれなかった田中邦衛は、俳優になる夢を断ちがたく俳優座の試験を3度受け、やっと研修生になる。そして、田中の個性を見抜いた安部公房が『幽霊はここにいる』(千田是也演出)で主役に抜擢(ばってき)した。役名は「貧相な男」。そこから映画の仕事が続々と舞いこみ、加山雄三主演『若大将』シリーズの「青大将」役でブレークするが、それでも将来が不安で、実家から送ってもらった茶碗(ちゃわん)を街頭販売していたところが苦労人の田中らしい。
代表作となった『北の国から』の朴訥(ぼくとつ)な父親役は、脚本家の倉本聰が「もっとも情けなさが似合う俳優だから」と依頼した。『仁義なき戦い』の、「女房のお腹(なか)に子供がいると思うと不憫(ふびん)で」とウソ泣きして殴りこみを断り、密告して対立相手を謀殺するやくざのように、情けないうえに卑劣な役柄もまた上手(うま)かった。岡本喜八、勅使河原宏、三谷幸喜らが田中邦衛を自作に起用したのは、田中が人間のどうしようもなさを愛(いと)おしむように演じたからだろう。
野球が好きだった田中邦衛は、プロ野球の開幕を見届けることなく身罷(みまか)った。今夜は、田中邦衛が豪快なフォームからビーンボール(死球)を投げこむアル中の投手を演じた『ダイナマイトどんどん』を献杯しながら観たい。(映画史家・伊藤彰彦)