「女性の社会進出」戦国大名家は女性が守った 今川家寿桂尼
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寿桂尼(今川氏) 「東海の大国」支えた“家”妻パワー 戦国の案内人 黒田基樹
今川氏親(うじちか)の妻、寿桂尼(じゅけいに)は、晩年病弱だった夫と若年の子の氏輝(うじてる)の代行として国を治め、“海道(東海道)一の弓取り”と呼ばれた義元(よしもと)の繁栄の礎を築いた。
黒田 戦国時代、寿桂尼のような大名に嫁ぐ上流階級の女性は、子供の頃から中国の古典などの教養を身につけていた。これは帝王学だ。そういう政治的な修養を積んだ上で、大名の妻になった。戦国時代は寿桂尼だけでなく、女性が政務代行を務めた事例が広範に見られる。戦国大名の妻は、当然のこととして、夫や子の代わりに政務をとる能力が求められていたと考えている。
今川家は分国法「今川仮名目録(いまがわかなもくろく)」が有名。これにも寿桂尼は関わっていたのか。
黒田 定かではない。ただ、当然ながら、当主の今川氏親を補佐し、作成に関与したと思う。その後、寿桂尼は今川仮名目録に基づき、氏親の政務を代行しているからだ。今川仮名目録は、判例を体系的に集約した、いわば日本最初の法典。同時代にこうした法典を作った大名は他にない。それ以前は、判例を体系的にまとめるという発想がなかった。
戦国大名の政務の代行役が、家老でなく大名の妻だったのは。
黒田 江戸時代までの社会組織は、基本的に「家」だ。戦国大名の妻は、「“家”妻(いえつま)」と概念化されている家組織の妻の役割…
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週刊エコノミスト
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