新規会員は2カ月無料!「年末とくとくキャンペーン」実施中です!

経済・企業 経済は戦国大名に学べ

「経営者と社員」コミュニケーションの齟齬が招いた悲劇 明智光秀

明智光秀 四国攻め外された焦りが“本能寺”へ 戦国の案内人 柴裕之

「本能寺の変」では、織田信長に油断があったのか。

柴 当時、織田政権の勢力範囲は、今の近畿(畿内)、東海、関東甲信、北陸、中国地方にまで広がっていて、畿内は敵対勢力がなく安泰だった。だから信長が護衛の人数を少なくしたのも間違いではない。護衛を少なくしたのは、政治パフォーマンスの意味もあったはずだ。自分が天下人となって、畿内はこれだけ安全になったというアピールだ。

 それよりも重要なのは、中央の畿内の軍事司令官が惟任(これとう)(明智)光秀だったこと。信長が天下に立つ状況の中で、最重要の畿内の軍事司令官に光秀を任命している。光秀をよほど信頼していたということだ。

信頼されていたのに、なぜ光秀は謀反を。

柴 光秀は当時、織田政権の四国対策を巡る政治路線対立で、窮地に陥っていた。

 四国は畿内に近いため、織田政権の四国対策は、畿内の軍事司令官である光秀が構築した「光秀=長宗我部ライン」を軸に進めらていた。

 ところが、長宗我部と敵対する三好氏が織田氏に従属すると、劣勢だった三好勢は信長の三男・信孝を養子に迎えたり、秀吉に協力を求めるなど、勢力を盛り返そうとした。その結果、信長は四国対策を「光秀=長宗我部ライン」から「信孝・秀吉=三好ライン」に転換した。光秀は織田政権内の勢力争いに敗れ、四国対策の担当から“外された”格好になった。これが…

残り681文字(全文1281文字)

週刊エコノミスト

週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。

・会員限定の有料記事が読み放題
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める

通常価格 月額2,040円(税込)が、今なら2ヶ月0円

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

12月3日号

経済学の現在地16 米国分断解消のカギとなる共感 主流派経済学の課題に重なる■安藤大介18 インタビュー 野中 郁次郎 一橋大学名誉教授 「全身全霊で相手に共感し可能となる暗黙知の共有」20 共同体メカニズム 危機の時代にこそ増す必要性 信頼・利他・互恵・徳で活性化 ■大垣 昌夫23 Q&A [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事