バブル秘史 波乱の証券業界⑦ 丸起証券の買収に10億円 Kobe証券誕生の秘策
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波乱の証券業界/7 丸起証券を買収し「Kobe証券」へ=恩田饒
兵庫銀行が傘下の丸起証券を売却することになり、買収に動いた。だが、大蔵省の認可を得るには“奇策”を用いるしかなかった。
証券団体協議会の常任委員長に就任して4年後の1995年、大和証券の土井定包会長に呼び出された。会長の口から出た言葉は、予想外のものだった。
「不況で各種団体を整理しなければならない。証券界の団体には多くの大蔵官僚が天下っていて、簡単に廃止できない。しかし、証団協は君が『うん』と言ってくれれば、廃止できるのだが」
そう言われた私の頭の中には、以前、委員長を辞めたいと申し出た私に、「少なくとも10年はやってくれ」と、引き留めておいて、何をいまさらとの思いが横切った。だが「厳しい環境は理解できます。証券界のために決断されたことには従います」と答えた。
証団協は日本証券経済研究所と統合することになり、私は退任した。辞めた時に土井会長は「大和総研の顧問にならないか」と誘ってくれた。「報酬はどのくらい欲しいかね」と聞かれたので、「証団協では月180万円もらっていたので、150万円くらいいただければと思います」と答えると、土井会長は「わかった」と即答したのでビックリした。
当時、大和証券の子会社の顧問は、会長を退任後に、月給50万円で2年ほど務めるのが慣例になっていた。その破格の待遇を了解してくれたのは、「少なくとも10年」と言っていたことへの埋め合わせの気持ちが働いたのではと思う。
10億円出資者を探す
大和総研の顧問に何も不満はなかったが、高給をもらって大した仕事もしない状態で、企業人人生を終えていいのかという思いは強くなった。
95年秋ごろだった。「兵庫銀行が子会社の丸起証券を売却する」という新聞記事が目に飛び込んできた。その瞬間に「この証券会社を買収して、社長として業界に新風を送り込めたら、どんなに生きがいを感じられるだろう」と思った。
とはいえ買収資金を持っているわけではない。しかし、とにかく行動を起こすことにした。兵庫銀行の当時の頭取は、大蔵省の元銀行局長の吉田正輝だということは知っていた。第二地銀の経営再建に、銀行局長経験者が送り込まれるのは異例だった。私は大蔵省の西村吉正銀行局長に「お会いしたい」と電話を入れた。「それでは明日の朝9時にいらっしゃい」との返事が返ってきた。
西村を訪ね、「丸起証券を買収したいと考えているのですが……」と話し始めると、西村は電話を取って誰かと話し、「吉田頭取が今日の午後3時に会ってくれるので行ってみてください」と言った。その日、東京・日本橋の東京支店にいるという。
早速、吉田頭取を訪ね、買収の話を切り出すと、意外にもあっさり「問題ありません」との返事をもらった。
買収資金には10億円ほど必要だったので、資金集めに奔走したが、集めることは至難のわざだと悟るのに時間はかからなかった。ある日、寝床の中で、知り合いの野村企業情報の新田喜男専務の顔が浮かんだ。翌朝、電話して趣旨を話すと、「うちの後藤光男社長に話してみては」と助言された。これが買収への道を開…
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週刊エコノミスト
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